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「おお、今日もいい天気だな」 朝、病室のカーテンを開いた銀時は、レース網のカーテンの向こう側から漏れる光にそう言った。 背後のベッドでは相変わらず、土方があの日から飽くことなく眠り続けている。 初めのうちは中々慣れなかった寝ている人間に対する世話の仕方も二週間がすぎるころには随分と楽になり、今ではもう松本の手を借りずとも一人で土方の世話ができるまでになっていた。 眠りの世界へと落ちた土方は、本当にあれ以来ぴくりとも動かない。 今土方の身体には様々な器具が取り付けられており、脈や呼吸には問題がない事は分かっている。 文字通り『眠った』状態が永続的に継続しているだけなのだと、それが証明されていてもやはり時折不安は襲う。 このまま目覚めないのではないかと思いながら、銀時はそんな不安を自らかき消すように、毎日のように土方に話しかけながらその世話を続けていた。 「昨日は雨だったもんな。やっぱお日さんの光当たってたほうが、お前も気持ちいいよな。……あ、そういえば今日は午後に近藤が来るって言ってたぜ」 たとえ眠っていても、聴覚が働いていればきっと声は聞こえているからと松本に言われ、銀時はその日の天気のこと、ニュースで見た出来事、それに近藤や山崎が見舞いに来る時の話などを積極的に土方へと話しかけた。 当然だが、返答など返ってはこないし、それが時折どうしようもなく寂しくはあるけれど、それでも銀時はそれをやめようとは思わなかった。 こんなことしか出来ないとしても、今の己にはこれが精一杯なのだ。 「……なぁ、土方」 ベッドの脇に腰掛け、銀時は眠る土方の頬をそっと撫でた。 「お前に、早く逢いたいよ」 眠り姫みたいになっちゃってと呟き、もしキスで目が覚めるならどんなにお手軽かと思わず笑ってしまう。 「あ、でも治ってねぇのに無理矢理起きなくてもいいぜ。っつーか、お前今まで働き過ぎだったんだからさ、今のうちに一生分くらい寝溜めしとけよ。……そんで、さ。ちゃんと治ったら、目開けて、また昔みたいに呼んでくれよ」 頬の赤みが以前より少しだけ引いたような気がして、そっと己の両手で顔を包んで熱を移す。 早く目覚めてほしい気持ちと、でもゆっくりと静養してほしいと思う気持ちはいつでも相反しながら銀時の心を同時に願う。 「万事屋、って。……呼んで、笑ってくれよ、な?」 唇ではなく右の頬に、一度口吻を御閉じてそっと体を離す。 こうして土方の顔に毎日のようにキスをするのは最早日課のようなもので、今日はどこにしてやろうかなどと考えるのもひとつの楽しみのようになってきた。 暫くそのまま土方の顔を見つめ、ひょっとしたら今目がさめるのではないかなどと希望を持って見ていても、そんなに簡単に事が運ぶはずはない。 それでも、銀時は毎日のようにそれを続ける事をやめられなかった。 できることなら己が傍でその顔を見ている時に目が覚めてほしい、なんて夢見がちな事を考えることもある。 それでも結局は、無事に意識を取り戻してくれれば状況や時間などいつだっていいのだ。 だって、己は今四六時中ずっと土方の傍にいるのだから。 「起きねぇと、大好きなマヨネーズもう食えねぇぞ」 そう言って、銀時はそのさらさらとした髪を撫でつける。 「……目、あけないと、俺が見えないし?」 そうして、戯れに発したその言葉に土方のまぶたが少しだけ揺れたような、そんな気がして。 「……いや、ないない。自惚れ過ぎ」 だが、すぐに見間違いだろうとそのまぶたを指で撫で、銀時は改めてその顔立ちの良さに溜息を吐いた。 土方は基本的に眼力が強く、顔の中でもひときわそこに目がいくせいかキツイ印象を持たれがちだ。 だが、こうして瞳を閉じて入ればその眼力がなくなった分精錬とした顔の作りが際立ち、改めてこの男が本当に美形なのだと実感する。 だが、銀時が土方のどこが好きかと問われれば、やはりあの印象深い目は一番に口から付いて出るだろう。 だからこそ、それを早くもう一度見たいのだと、今度はそのまぶたにキスをする。 次いで、土方の呼吸の邪魔はしないように気をつけながらそっと掠めるように唇に触れて。 「ほんと、……キスで目が覚めるなら苦労しねぇよなぁ……」 溜息混じりに呟いた言葉は、届く相手もなく。 零れ落ちた小さな言葉が床に辺り、小さな音を立てたような気がした。 * * * びくりと身体が震え、銀時は目を覚ました。 不安定な身体を慌てて足で支え、改めて己の今の状況を理解すれば、土方の世話をしているうちに椅子に座ってうつらうつらとしてしまい、そして椅子から落ちそうになって目が覚めたらしい事に気付く。 「……だっせぇ……」 誰にも見られなくてよかった、と自嘲しながら、銀時はそれほどに自分が疲れていたのかと欠伸を噛み殺しながらベッドに歩み寄った。 土方が眠りに落ちてから今日で丁度三週間が経過している。 相変わらず土方は眠ってしまったまま目を覚まさない。 だが、ここ数日で何度か、土方の身体に皆を喜ばせる変化が起きていた。 例えば、銀時の言葉に反応したように脳波に変わった波形が見られたり、今度は見間違いではなく指先やまぶたが時折動いたりしたことが確認できたり。 松本によれば銀時が毎日のように熱心に話しかけ、また筋肉を衰えさせないようにと献身的に腕を動かしたり足を揉んだりと土方の身体の維持に力を注いでいたのがここに来て功を奏してきたのかもしれないという。 己の拙い努力がそれでも土方の目を覚まさせることに貢献できているのかと思えばそれが嬉しく、銀時はそれから一層土方の世話に心血を注いだ。 だが、こんなところで寝こけるほど疲れていたとは、少しばかり頑張りすぎたのかもしれない。 銀時が万一体調を崩せば、感染を恐れられ土方の世話は継続することができなくなる。 それだけは絶対に避けなければならないと、銀時は土方の頬に触れ、そこが少し汗ばんでいる事に気づいた。 銀時が寝落ちたのが記憶の限り夕刻過ぎだとすれば、今日はまだ土方の身体を拭いてやっていない。 しまった、とその事実に気づき、銀時は眠る土方にゴメンなと謝った。 「直ぐ準備してくるから、ちょっと待ってろよ」 体を拭くためのタオルと湯を用意するためには、部屋の向かいにある給湯室へいかなければいけない。 他に土方の体に変調がないことを確認し、銀時はその額に一度口吻をした後、病室を出た。 夜の病院というのはもっと怖いものかと、銀時は土方が入院した当初本当の所少しだけ内心不安に思っていた。 だが、二十四時間体勢が当たり前な病院内というのは意外と夜中でもどこかしら明るく、思っていたよりは恐怖を感じない。 そういえばすこし喉が渇いたし、ついでにコーヒーでも買っていこうかと銀時は給湯室の前に隔離区域を出て少し言った場所にある自販機に向かった。 そこで懐の小銭をつかいコーヒーを買おうとした、その時。 「あの、坂田さんでしょうか」 突然かけられた声にビクリと肩を揺らし咄嗟に振り向けば、そこにいたのは幸い幽霊ではなく一人の看護婦だった。 その当たり前の事実に何故かほっとし、そもそも何故幽霊が己の名前を知っているのだと自分でツッコミを入れながら銀時はそうですけど、と自販機には金を入れるのをやめ、看護婦の方へと身体を向けた。 「俺に何か?」 「松本先生が、至急坂田さんをお呼びするようにと」 病室に伺ったのですが、いらっしゃらなかったので探しましたという彼女に、それはタイミングが悪く悪いことをしたと思う。 「何か、あったんですか?」 「私も詳しいことは。ただ、とても重要なお話だと。こちらにどうぞ」 そう言って銀時を招く看護婦の慌てた様子に、銀時は何か不測の事態でも起こったのだろうかと慌ててその後を追った。 看護婦は銀時をつれて、会議室が並ぶ区域の一番奥まった一室の扉をノックし、そのまま扉を開いた。 「先生、坂田さんをお連れしました」 そう言って中に入る看護婦に付いて銀時は部屋の中に入り、だがそこに誰も居ないことに気づけば、一瞬穂が止まった。 直後、背後で扉が突然閉まり、次いで鍵を掛ける音が響く。 驚いて振り向けば、背後で先程の看護婦が真っ青な顔をしながらドアの鍵を手で覆っていた。 「……ちょ、アンタ……!」 「ご、ごめんなさい! ごめんなさい!」 泣きそうな顔で必至に謝るその姿にこれはまさかと眉を寄せた銀時の背後から感じた殺気に、咄嗟に飛んできた『モノ』を木刀で跳ね落とす。 跳ね飛ばされ床に刺さったそれを改めて見れば、投げつけられたのは懐に収まるほどのサイズの小刀だった。 避けるのではなく撥ねたのは、己が避ければ背後にいる彼女にそれがあたってしまうと判断したからで。 投げられた凶器に悲鳴を上げた看護婦はその場に腰を抜かしたように座り込む。 刀が飛んできた方向へと目線を向ければそこには明らかに病院関係者ではないとわかる男達が窓から部屋へと侵入しており、銀時は小さく舌打ちをした。 そのにやにやと嫌な笑みを浮かべる面々に、苛立ちと憤りが増す。 完全に、嵌められた。 恐らく背後の看護婦は銀時をこの場におびき寄せるために脅されただけなのだろう。 この状況に既に震えて立ち上がることすらできないその様を見れば彼らの仲間とは思えなかった。 数カ月前に山崎に伝えられた、除隊した土方を狙う攘夷志士。 それがこいつらなのだろうと銀時は抜いた木刀で軽く己の肩を叩きその人数を確認する。 数は多いが、見る限り小物ばかりで、だがその事が返って銀時の中へと違和感を呼んだ。 こんな手の込んだ方法で銀時をおびき出す以上、こいつらが己の素性を知らないとは考えにくい。 ならば、一人か二人精鋭がいてもおかしくはないような気がして。 (……なるほど、そういうことか……!) そして、待たず理解したその攘夷浪士達の目的に、銀時はならば遠慮はいらぬと問答もなしに敵陣へと突っ込んだ。 「なっ……!」 「こいつ……!」 「きゃーーー!!」 背後で看護婦の悲鳴が上がる中、突然戦闘態勢に入った己に浪士たちが怯んだ隙を狙い、容赦なく敵を昏倒もしくは戦闘不能にしていく。 この期に及んで加減など出来る余裕はなく、だいぶ荒っぽく骨を折ってしまったかもしれないが、今はそんなことを着にしている余裕もなかった。 なぜなら、この状況はどう考えても時間稼ぎ以外の何物でも無いからだ。 あっという間にその場にいた連中を一網打尽にし、銀時は木刀を懐に収め看護婦に駆け寄った。 「おいアンタ、大丈夫か?」 「あ、ご、ごめんなさ、ごめんなさい……!」 「謝罪はいい!アンタ、自分のIDを奴らに取られたんじゃないのか?」 確信を持った銀時の問いかけに、看護婦は息を呑んだ後泣きながら首を縦に振った。 やはりそうかと、銀時は会議室の鍵を開け、看護婦の腕を引っ張ってその場飛び出した。 そして、ナースステーションの近くで彼女の手を離し、騒ぎが収まるまで隠れているように言い含め、踵を返す。 あの隔離区域に入るには、限られた職員の持つIDと指紋による生体認証が必要になる。 が、あの様子では恐らく銀時が隔離区域を出たのを確認し、強引に扉を開けさせた上で銀時を引き離しておくようにと脅されたのだろう。 その上であの時間稼ぎを行った理由など、一つしか考えられない。 出入り口で銀時のためにと用意されたIDで中に区画に入り、最早病院内であることも忘れ全力で廊下を走りぬけた。 そして先ほどまで土方がいたはずの病室の扉を開け放ち――。 「土方!!」 叫び、飛び込んだ病室は、見るも無残な有様になっていた。 土方の身体に繋がれていたはずの点滴やコードが四方に飛び、機械の半分は何かで殴打されたようにその動きを止めている。そして、開け放たれた窓からは夜風によりカーテンが室内へとはためいていていた。 当然のように土方はおらず、銀時ふらふらと室内に入り、先程まで土方が眠っていたはずのベッドに手をついた。 まだ、そこには土方の温もりが残っている。 ほんの、数分前までここにいたはずなのだ。 ここで、もうすぐ目を覚ますべく少しずつ、土方の身体も準備を始めていたに違いない。 それを、奪われた。 すべて、己の落ち度で。 「………――ックソ!!」 渾身の力でベッドを殴り、そのまま衝動に任せてそれを繰り返す。 そして、直ぐに土方を探さなくてはと踵を返そうとしたその時。 部屋の中に、酷く聞き慣れた電子音が鳴り出した。 それが携帯電話の着信音であることにはすぐに分かり、銀時はその音の発生源を探す。 すると、壊れた心電図の上に真新しい携帯電話がこれみよがしに置かれているのを見つけ、銀時はコクリとつばを飲み込み、それを手にとった。 二つ折りの携帯を開くと画面には非通知と表記があり、銀時は鳴り響く着信音を止めるために通話ボタンを押す。 そのまま無言で耳に触れさせると、電話の向こうから耳につく不快な声が響いた。 『こんばんわ、白夜叉様』 「……誰だ、テメェ等……」 電話口から聞こえる笑い声は大小様々で、少なくとも喋っている人間の後ろには相当な人数がいるだろう事が伺える。 『初めまして。私は貴方の後輩で玉城鋭三郎と申します。あなたの大事にしている元真選組の副長殿は私達が丁重にお預かりしておりますよ』 「何が丁重だ。テメェらがぶっ壊した精密機械幾らすっと思ってんだ。あとで請求書送りつけんぞコノヤロー」 『おやおや、怖いですね。それとも、精密機械ではなく副長さんに同じ事をしたほうが宜しかったですか?』 玉城の言葉に、携帯の奥から下卑た笑いが響く。 「ッ……テメェら……!」 『あぁ、無いとは思いますが真選組にはご内密におねがいしますよ』 教えれば、その場で土方の命はないと、言外にそう言われていることを悟る。 常であれば土方自身にこの場を切り抜けるだけの知識と判断力と戦闘力が期待できるが、今の土方はまさしく赤子も同然だ。 いや、泣いて己の場所を知らせられるだけまだ赤子のほうがマシかとすら思う。 奴らがその気になれば、土方を殺すことなどいつでも可能なのだと、銀時は唇を噛む。 「で? 俺にどうしろって?」 『月見橋の河川敷までいらしてください。勿論、あなたお一人で』 これから直ぐに、お待ちしています、と。 気味の悪い声はそれだけ告げ、携帯はブツリとその通信を断絶された。 * * * 空に登る月を水面に映しながら風流を楽しむ事で名が付けられたその橋は、大江戸病院から程近い江戸川の河口に掛かる橋だった。 抜き身の木刀を手に持ったまま河川敷へと降りる銀時の目に、橋の欄干に身体縛り付けられた土方の姿が写り、銀時はそのぐったりとした様子に息を呑んだ。 「土方っ……!」 「おっと、動かないでくださいね」 すらりと、意識を失ったままの土方を後ろから抱き寄せるように支え、その意識のない喉元へ白刃を突きつける男の姿に、銀時は思わずその場で歩を止める。 四十代半ばほどのその男はいかにも浪士崩れといった風貌をしたいかつい身体つきをしていた。 その声から、この男が玉城なのだと、銀時はその顔を睨みつける。 玉城が突きつけた刀の刃が土方の首に触れ僅かに血が滴る様に思わずやめろと叫びそうになり。 だが、ここで引くことは即ち負けを意味することで、銀時はわざと鼻で笑い男を睨みつけた。 「はっ、そんなに簡単に殺しちゃっていいんですかぁ? そいつがいなくなりゃ人質はもういねぇ。テメェ等がそんな手を使ってる事自体、普通にやりゃあ俺に敵わねぇのわかってんじゃねーの?」 「なるほど、確かにそうですねぇ。私達ではこの人数束になった所で、あなたに勝つなど無理でしょう。ですから、勿論簡単に殺しなどしませんよ。この方には存分に役立ってもらった後、ゆっくりと殺してあげます。例えば……そうですね、あなたに自害をしてもらった後にでも」 「なっ……!」 一瞬怯む銀時の背後や四方から恐らく男の仲間と思われる男達が銀時を取り囲み、そして男の背後にも数人の似たような風貌の男達が姿を表す。 銀時にとってはこの程度の手勢、何人集められた所で相手にもならないが、土方があちらに捉えられている以上無茶は出来ない。 人質という役割がある以上簡単に殺すとは考えづらいが、一体何を企んでいるのかと、銀時は欄干に立つその姿を下から睨みつけた。 「俺が、自害?」 「えぇ、そうです。あなたには攘夷を志す英雄でありながら、我々を裏切った咎がありますからねぇ。その罪を贖ってもらわなくては」 「っざけんな。俺は別に攘夷の星だの英雄だのになった覚えなんて一度もねーよ。勝手に崇めて勝手に失望されて、はた迷惑極まりねぇな!」 そのはた迷惑な理由のために、病床に臥している土方をこんな場所まで連れだしたのかと思えば、それだけで腸が煮え繰り返しそうな心境だった。 あと、もう少しだった。 後もう少しで、土方はあの病から開放され目を覚ましたはずだったのに。 「何を言っているんですか。英雄と讃えるのは何時の時代も周りの人間達ですよ。それに、英雄はその名を馳せたまま死んだ後、最も名を輝かせるのです。……私達は貴方が英雄と呼ばれている今のうちに、死なせて差し上げようと思っているだけですよ。自刃なんて、いかにもでしょう」 「イカれてんのか、てめぇ……いいからとっとと土方離せ! 殺されてぇのか!!」 「まさか。強いていうならば、殺したいんですよ。あの稀代の英雄と讃えられた白夜叉を、私の手でね」 そうして、男の刃がゆっくりと土方の首筋から引き抜かれる。 だが、その刃が次に土方へと触れた場所に、銀時は息を呑んだ。 それは、丁度土方の利き腕である、右手の付け根で。 「さぁ、どうしましょうか白夜叉殿。大事な副長さんの右腕が落ちてしまいますよ」 あぁ、元副長でしたね、失礼、と。 まるで笑うような口調でそういう男の言動に目の裏が真っ赤に染まり、だが、銀時の腕はそこから一ミリも動かすことが出来なかった。 もし腕を落とされれば、目覚めても、もう土方は刀を握ることはできなくなる。 真剣を使うことは無理でも、きっと土方なら竹刀でもなんでも刀を握り続ける事を望むだろう。 銀時のように木刀を持つのだっていいかもしれないなどと、半ば本気でそんなことを考えていたその思いが、今目の前で落ちようとしている。 僅かに男が白刃を引こうとすれば、銀時は必至でやめろと叫んだ。 「やめろ、やめろ! それだけは……」 「おやおや、これは随分と効果ありのようですね。……あぁ、でもまた本気ではないのだと疑われても心外ですから、一先ず右手を落としてから、残った左手で交渉致しましょうか」 「やめっ!!」 ついに耐え切れなくなり一歩踏み出そうとした銀時の前に先ほどの小刀が行く手を阻むように刺さる。 次いで四方からこれを好機と一斉に襲いかかる浪士に、銀時は反撃するすべもなく四肢を拘束された。 今一瞬でも抵抗を見せれば、あの男は顔色一つ変えず土方の腕を切り落とすだろう。 その顔を見れば、男が人を殺す事ができる器かどうかなど銀時にはすぐに理解できる。 そして今眼の前にいる男は、その気があれば土方の身体をバラバラにすることすら笑みを浮かべてやってのけるだろう狂気性を秘めていた。 どうしたらこの場を切り抜けられるだろうと必至に考えを巡らせる銀時の前に、切腹に使用する抜き身の刀が橋の上から放られる。 それが、土方の腕を斬られたくなければ、今この場で腹を切れとそう言われているのだとわかって。 「心配せずとも、介錯人は後ろにたくさんおりますよ。あぁ、少しやりすぎてしまうかもしれませんが、まぁ、貴方はどうせ死んだ後ですから、関係ありませんね」 「……あ、……」 「どうしました? 早く切って下さい」 男の刃は、今にも土方の腕を切り落とさんとしている。 今腹を切れば、土方の右手は助かるのだろうかと思い、だが直後にそんなことをしてもし目を覚ましたそれを土方が知ればどうなるかと、一瞬、腕の動きが鈍り。 「……そうですか。残念ですが白夜叉殿は彼の右手よりも、己の命のほうが大切のようですね」 「……あ、ちがっ」 「では仕方ありません。さようなら」 そうして、玉城の横にいた男が土方の右腕を固定するように腕を持ち、玉城が刀を上から振りかぶる。 「やめろーーーーーーーーーッ!!」 喉が焼き切れるかと思うほどの悲鳴を上げた銀時の叫びとほぼ同時に、欄干の上で血しぶきが上がる。 そして、目を見開いた銀時の目の前に、橋の上で切り落とされた腕が一本、ぼとりと落ちた。 |