砂時計が落ちるまで 17







「……なっ………」
 欄干の上で刎ね飛ばされ、目の前に落ちてきた一本の腕。
 その腕に、銀時は目を見開く。
 なぜなら、眼の前に落ちたその腕は、銀時の知るなめらかな筋の通った、土方の腕では――なく。
「ぎゃぁぁあああああ!!」
 次いで橋の上で上がる断末魔に視線を上げると、先程まで土方の腕を掴んでいた男が、刀で胸を刺されそのまま橋の上から腕を追うように転がり落ちるところだった。
「兄貴!」
「鉄の兄貴!!」
 その姿に、銀時の後ろにいた数人の浪士たちが腕を一本落とされた男の亡骸の元へと駆け寄る。
 そして、その男を橋の上で刺したのはと、橋の上へと視線を上げた銀時の目に映ったのは。
「………ひじ、かた……?」
 橋の上で自らの身体に巻きつけられた縄を切り捨てている、間違いなく己の意思で動く、土方の姿で。
「土方、貴様!」
 その姿に銀時がもう一度声をかけようとした瞬間、玉城が橋の上で土方に向かって再び刃を振り上げる。
「土方!!」
 逃げろと、叫ぶ銀時の声が聞こえていたのか、土方は逃げるように咄嗟に身体を捩りそのまま己の意思か足を滑らせたのか、欄干から橋の下へと落下する。
 名を呼んで、駆け寄ろうとする銀時の身体を浪士たちが押さえ込み、落下した土方は亡骸に駆け寄っていた男の一人を上から串刺しにするようにして、橋の下に転がった。
「ひぃいい!!」
 突如目を覚ました土方に怯えたように悲鳴を上げて後ずさる男に、土方は駆け寄った男が握っていた刀を握り、横一閃に切りつける。
 まるですべての出来事が、スローモーションでもかかったかのように銀時の目の前で展開していく様に、思考が付いていかない。
 なぜ、土方がと目の前で浪士を斬り付けるその姿に未だ夢を見ているかのような心地で。
 断末魔の悲鳴を上げて地に伏す男の脇に、刀を支えのようにして立ち上がり、土方は銀時を抑えこむ浪士達を触れれば切れそうな視線を投げつけた。
 そして、その唇から零れたのは、もう長らく耳にしていなかった、『土方』の声で。
「……はなれ、ろ……」
「……土方……?」
 落ちた時にどこか痛めたのだろうか。
 足を引きずるように、一歩こちらに進みでた土方が、身体を支えていた刀を地面から抜く。
 そして、抜き身のそれをすらりと地と水平にこちらに向かって構えた。
 その目はまっすぐに、銀時を拘束し刃を突きつける浪士達を睨みつけ。

「……攘夷浪士、風情が……ッ汚ェ手で俺の情人に触ンじゃねぇ!! 離れろッ!!」

 声だけで人が殺せるのなら、ここにいる人間達を全員皆殺しにしているとすら思った。
 その殺気を纏った土方の声に怯み、銀時を取り巻く拘束が、一瞬、緩む。
 だが、一瞬その一瞬あれば十分だった。
 己を抑えこんでいた男の腕をねじり上げ、その刀を奪った銀時は、そのまま身体に伸し掛かる大柄な男の股間を容赦なく蹴りつける。
 痛みでのたうつ男の脇から切りつけられた刀を避けその脇を突いたのを皮切りに一気に攻勢を仕掛け、回りの浪士を一人残らず斬り付ける。
 人質さえいなければ物の数ではないの浪士たちに、河川敷が血の海に変わるまで、さほど時間はかからなかった。
 下がりつつ土方身体を背中で庇い、加勢しようとするその身体を押しとどめ無理はするなと告げる。
 だが、違うというように橋の上を指差すその姿にそちらを見れば、玉城が数人の仲間とともに踵を返す所で。
「待て……!」
 慌てて追いかけようと銀時が足を踏み出した直後、だが、同じくその姿を追おうとした土方が河川敷に倒れ込んだ。
「っ……土方!」
 そうなってしまえばもう、土方を置いて玉城をおうことなど出来ずに銀時はその身体を助け起こす。
 先ほど端から落ちた時に負ったのか、土方の身体はそこら中傷だらけで、足首はひねったかのように真っ赤に晴れていた。
 それが痛々しく大丈夫かと問えば、弱弱しく、だが土方はしっかりと頷く。
 目が、覚めたのだと。
 思い出してくれだのだと、その時唐突に、溢れるような実感が銀時の中に湧き上がった
 それが何より嬉しく、銀時は耐え切れなくなったようにその身体を押し倒す勢いで抱きついた。
「っ、土方ぁああ!!」
「っ、うわ、ちょ、は、離れやがれ腐れ天パ!」
 思わず、と言った口調で土方の口から出たその憎まれ口すら、今の銀時には歓喜しか及ぼさず。
「あぁ! その罵倒! 土方だ…! いい、もっと、もっといって!」
「ちょ、お前キモい!」
「いいから! もっと罵倒しろっつってんだよ! 俺は? 俺は誰?」
 早く、ちゃんと己の事を思い出してくれたのだという証が欲しい、と。
 半ば必至な様子で問いかける銀時に、土方は一瞬酷く泣きそうな顔の後、突然声を荒げたせいか少しだけ声をからすように咳き込んだ。
 そして、こくりと生唾を飲み込み、銀時の顔をまっすぐに見上げる。
「……っ、万年金欠の、糖尿予備軍」
「うん」
 それでも、いちご牛乳くらいは好きに買えと、言ってくれた。
「半ニートでギャンブル好きの、どうしようもねぇマダオ」
「うん」
 それでも、そんな男がすきだからしょうがないと、しっかりしろと叱ってくれて。
「死んだ魚のような目ぇして、年中へらっへらしてるくせに、いざって時は……誰よりも頼りになる」
「……うん」
 そうして、こんなどうしようもない男のことを、そうして信頼して、好きだと言ってくれる。
「腐れ天パ」
「うん」
 何度も何度も、まるで口癖みたいにそう呼ばれて。
「……万事屋」
「……土方君」
 その呼び方が嫌いなわけではない、でもたまには、名前で呼んでほしい、なんて、思って。
「……っ、銀時!」
 そうして、耐え切れないとこちらに縋るように腕を伸ばして呼ばれたその名前に、あぁ、漸く、取り戻せたのだと、そう思った。
「十四郎」
 名前を呼んで、その身体を抱きしめる。
 腕の中の愛しいこの子を、失ってしまわなくて本当によかった。
 守ることができたのだと、そう思って名前を呼んで。
 だが、思えば己だってその男の名前を目を見て呼んだことなど一度もなかったではないかと、今更そんな事に気づけば、その保身に酷く笑えた。
 呼ぶのが怖かったのは、己の方だったのだと。
 銀時は土方の身体をもう一度、守るように抱きしめその名を呼んだ。


 *      *      *



 まるで、長い長い夢を見ていたかのようだった。
 己を必至で呼ぶ銀時の叫びに意識が浮上して、気づいた時には咄嗟に振り下ろされた剣を避け、奪い取った剣で男を切りつけていた。
 見れば銀時が、浪士たちに為す術もなく捕まっているのを見て、あぁ、きっと己が人質だったのだと気付き頭に血が上って。

「……攘夷浪士、風情が……ッ汚ェ手で俺の情人に触ンじゃねぇ!! 離れろッ!!」

 そう叫んでしまったのは、もう本当に勢い任せでの事だった。
 後悔はしていないが、やはりほんの少しだけ、恥ずかしい。
「銀、時……」
 河川敷に立ち込める血の匂いの中で、それでも己を愛しいものだというように抱きしめてくれる銀時の腕が嬉しくて、やっと、無くしていたものを取り戻せたような、そんな気分になった。
 失くしてしまっていた間に得たものと、元々得ていたものとの記憶がまだうまくからみ合ってくれずに多少記憶は混乱していたが、銀時が弱っていく己の手を決して離すことなく傍にいてくれたことだけは、紛れも無い事実だと何よりも己の身体が一番それを知っていた。
 銀時、と名前を呼ぶ己の言葉に嬉しそうに笑む土方の身体をキツく抱きしめてくれていたその腕が、不意に緩んで。
 あぁ、きっと口吻をする事ができるのだと、無意識に目を閉じかけた土方は、直後、銀時の背後に広がる光景に息を呑んだ。
 そんな己の様子に、銀時も己の背後で何かが起こっていることに気づいたのだろう。
 銀時が振り向いたその先には、先程土方が横一閃に胸を切りつけた浪士がこちらに向かって拳銃を構えていた。
 恐らく、切りが浅かったのだろう。
 絶命していたと思っていた男の最後の反撃に、だが拳銃ではここから刀で応戦することなど不可能で。
 ―――間に合わない。
 男が拳銃の引き金を引くその様が、まるでスローにでもなったかのように目に映り。
「死ねぇ!!……ぐっ……」
 だが、同時にどちらかが死ぬ事を悟った二人の目の前で、今まさに拳銃を引かんとした男が、脳に刀を受けその場に倒れこむ様が映った。
 そして、予想外な男の最後に驚く二人の目の前に、橋の影から姿を表したのは。
「死体が蔓延る河川敷のど真ん中で、なに少女漫画みたいな事やってるんですか、アンタ方」
「し、むら……? あ、い、いや、これは……!」
 そして今自分たちがこんな場所で何をしていたかを傍目から指摘され、思わず顔がばっと熱くなる。
 確かに、こんな場所で何を感傷に浸っていたのかと急に己の行動が恥ずかしくなって。
 だが、更にそれに追い打ちをかけるかのようにバズーカを担いだ見慣れた姿が、こちらに向かって歩いてきた。
「あーあーこれだからリア充は嫌なんでさァいっそそのまま幸せすぎて死んじゃうとかそれっぽい台詞と共に死ね土方」
「……テメェが死ね、総悟……」
 いつもの受け答えのはずが、その言葉にはいつもどおりの覇気など込められるはずもなく、どこか震えさえ混じっている。
 そして今の己になら、その言葉を悔しさや寂しさからのものだと、そう理解することができると、そう思って。
「おい、こんだけ世話してやったんだから、今度素昆布十年分奢るアル!」
 そして、新八の影から姿を表した少女に、やはりいたかとここまで来ればもう笑いすら漏れてきて。
「……わかった。腹一杯になってもういいって程食わせてやるよ、チャイナ。……あの犬にも、ドッグフード買ってやったら許してくれっかな?」
「最上級じゃなきゃ許さないネ」
「……あぁ、そうだな」
「……っつーか、お前らなんでここにいんの」
 だが、そこでふと今まで黙っていた銀時からツッコミが入れば、確かにそうだと土方は思う。
 この場所は市街地とはかなり離れており、河の河口付近に近いことから人通りも多くない。
 とはいえ、この騒ぎに気付き自主的に駆けつけてくれたのだろうかと問いかける銀時の言葉に答えたのは、沖田の後からこの場に駆けつけた山崎だった。
 その見慣れたと感じることができる姿に、この男にも後で謝らなければと、そう思った。
「通報があったんです。善意の」
「通報?」
「大江戸病院の看護婦さんから。土方さんが攫われて、銀髪頭の御侍さんが一人で向かってる。助けて下さいって」
「俺が出たら、そのようなものはうちにはいませんぜって切ってやったんですけどねィ」
「……という感じで、危機一髪でした」
 因みに電話に出たのは原田です、という山崎の言葉に、もう副長ではなくなってしまった己のために、こうして万事屋の子供達にまで連絡を入れて駆けつけてくれたのかと。
 その優しさに本当に申し訳なくなる。
 だが、どうしたってもう己はあの場所には戻れないのだから、今更そんな感傷に浸った所でもう遅いのだが。
「さて、じゃあここは沖田くんたちに任せて、行きますか」
 不意に、身体がふわりと浮くような感覚がして、気づいた時にはその身体は銀時の腕の中へと抱き上げられていた。
「い、行くってどこにだよ……!」
 その突然の行動に驚き身じろぐ土方に、だが銀時はあばれんなって、とその動きを押しとどめて。
「そんなの決まってんでしょ。ラブホ」
「は!? おい、まて、っつかお前何を……!」
「冗談」
 一瞬でも本気にされそうになった事が銀さんショック、と言いつつ。銀時は山崎が運転をしてきたパトカーの後部座席に土方の身体を押しこみ、己は助手席へと回る。
 そして、運転席に後から追いかけてきた山崎が乗り込めば、流石にラブホが冗談であることは疑うようも失くなった、が。
 それでもまだどこに行くのかと土方は不安げな顔を向ける。
 そんな土方に笑みを返し、銀時は山崎に向かって一言『戻って』と告げ、山崎ははい、と頷きアクセルを踏んだ。








「トシーーーー!!」
「うわっ」
 銀時曰くの『戻った』場所である大江戸病院で待ち構えていたのは、河川敷ではなく病院へと向かっていた近藤だった。
 土方が怪我をしているという情報に松本と連絡を取り合い治療の準備をしてくれていたのだという近藤に、土方はあまりの申し訳なさに項垂れた。
 だって、もう己は真選組ではない。
 副長ではなくなったのに、なぜこんなにも、と。
 松本の治療を受けながら、思わず下を向いた土方に、近藤が慌てたように土方の目の間へへとしゃがんだ。
「ど、どうしたトシ! 痛いか? 痛いよな。大丈夫だぞ、こんな怪我すぐに……」
「ちげえ! なんで……なんで、」
「トシ……?」
 なぜ、こんな風にに今までと変わらぬ扱いをしてくれるのかと、泣きたい気分に陥る。
 だってもう、違うのだ。
 自分は、彼らとは違うのに。
「もう、……俺は、副長じゃねぇし、……戻りてぇって思ったって、戻れねぇ……のに、」
「……トシ……」
「頼むから……、やめてくれ……」
 そんなに優しくされたら、そう思ってしまう。
 戻りたい、と。
 あの場所に帰りたいと、願ってしまう。
 そんな事はもう、絶対に無理だと分かっているのに。
 だからそんなふうに優しくしないでほしい、と顔を覆って首を振る土方に、近藤は少しだけ困ったように頬をかき、そしてベッドに腰掛けた土方に視線を合わせるように、その場に腰を落とした。
「……なぁ、トシ。一つ、お前に話しておきたい話があるんだが、聞いてくれるか?」
 そして、告げられたその言葉に、なんのことだとそっと顔を覆う手を離した土方に、近藤は笑って、実はな、と言った。
「お前の除隊証明、実はまだ上に提出してねぇんだ」
「……え……?」
「っつっても、誤解しねぇで欲しいのは、俺がお前がいなくなるのがイヤだってんで、お前の気持ちを踏みにじったわけじゃねえって事だ。実は、隊士の奴らがな」
 そういって、話し始めた近藤の話をまとめるとこうだった。
 あの日、許して欲しいと告げ屯所を去った土方の除隊証明書は、確かに近藤がその日の内に作成し、上に提出する予定だった。
 だが、そこで待ったをかけたのが、原田たちを始めとする隊長格や伍長の隊士達だったという。
「オメェ以外に真選組の副長を張れる人間はいねぇっつってよ。それにしたって、トシが決めたことだ、受け入れてやれといったんだが、病気なら尚更、どうとでも書きようはある、せめて一年待ってくれってゴネられて」
 あいつら、局長室の前まで来て土下座したんだぞ、と笑う近藤の言葉に、土方はまるで現実味がないその話に上手く反応することが出来ずに。
「で、そんな事をごちゃごちゃやってたら、総悟のやつが悪乗りしてな」
「悪乗り……?」
「あぁ。『そんなにいうなら毎朝続けてた道場の朝稽古、一ヶ月間隊長伍長が誰も遅刻しなかったら考えてやってもいいんじゃないですか』って言ってな」
「な!?」
 そのあまりといえばあまりな条件に、土方の頭にまずよぎったのは、絶対無理だ、だった。
 道場の朝稽古は土方を主体に毎朝行われているものだが、サボらずきちんと参加する隊士は半分にも満たない。
 そもそも、言い出した総悟が隊長なのだから、総悟がサボればそこでもうアウトだろう。
 何しろ総悟が朝稽古に顔を出すなどそれこそ一ヶ月に一度の割合なのだから。
「……無理だって、顔してんな」
「そりゃ、するだろ……」
 無理というか不可能だろうと首を振る土方に、今度はそれがな、と得意げに笑った。
「今日で、明日で一ヶ月だったんだが。聞いて驚け。遅刻欠席、ゼロだ」
「嘘だ」
「いや、嘘じゃねぇって」
「嘘だ! だって、よ」
 だって、己なんかのために、隊士たちがそんなに懸命になるなど、考えられない。
 だからこれは近藤のつくり話だと、土方は嘘だ、ともう一度首を振った。
 だが、そんな土方の両手を握り、近藤はなぁ、トシよ、と目尻を下げる。
「こんな嘘ついてお前を引き止めて、それでお前が喜ぶと俺が思うと思うのか?」
「……近藤、さん……」
「そうまでして、お前の場所を守りたいって足掻いてる奴らを、お前が、捨てちまっていいのか?」
 それがお前の生き方か、と問いかけるその言葉に、無意識に首を左右に振って。
「でも、俺はもう、……」
「もう、とか、まだ、とかじゃなくて、お前はどうしたい? トシはもう、戻りたくねぇのか?」
 ん?と問いかけるその声は、優しい。
 この手に甘えてはいけないのだと、心の何処かで警鐘が鳴っている。
 だって、己は一度捨てたのだ。
 その自分が、こんな都合のいい事、絶対に許されないと。
 そう、思うのに。
「……なぁ、トシよ」
 戻っておいで、と告げる優しい声に、もう、どうしたって抗うことなど出来そうになくて。
「…………大馬鹿野郎………だ」
 近藤も、隊士たちも、それにそんな条件を出しておきながら、いけしゃあしゃあと守ってみせたあの茶髪の少年も。
 どうせ戻ったが最後バズーカをぶっぱなして亡き者にした上で、この立場を乗っ取るつもりなのだろうと、そんな事はわかっているのに。
 それでも、嬉しいなんて思ってしまう自分が一番馬鹿で。
「そうだよ、おれたちゃ馬鹿の集まりだ。だから、オメェがいないとなんもできなくてな」
 書類溜まりまくって大変なんだよねぇ、と冗談のように笑う近藤に、土方はもう一度、馬鹿だ、と呟き耐え切れずに目尻から涙を零した。






「あーねむぅ……」
「我慢しろ、今日で最後だろ。今日が終われば、局長が副長にもう一回頼んでくれるって言ってんだ」
「わかってるって! でも副長納得してくれんのかなぁ」
「どうせあの馬鹿は近藤さんが言えば尻尾振ってかえってくんじゃないですかィ? あーだからこんなことしても無駄だとおもいやすけど」
「イヤ言い出したの沖田隊長でしょぉおお!?」
 廊下から聞こえるドヤドヤとした声は、この場所に近づくに連れて徐々にクリアになる。
 その会話の内容に随分な言われようだと思いながら、土方は道場の扉が開くと同時に、息を思い切り吸いそして声を張り上げた。
「遅ぇ!! テメェら遅刻だ!!」
「ひぃ! す、すみません!! ってまだ五時前ですよ!!」
「アァ!? 巫山戯たことぬかしてんじゃねぇ。副長より遅くきといて遅刻じゃありませんだぁ? 舐めてんのか!?!」
 一瞬、道場の中に己がいることが認識できていないんか口答えをする長倉に聞くものが聞けば理不尽な理論でそんな言葉を突きつけて。
 だがその言葉が何より、己が今この場所にいる事への証明になったのだろうと、思った。
 そして、遅れて彼らは今、己が自ら自分のことを『副長』と名乗ったことに、気づいたようで。
「ふ、副長!」
「副長だ! 副長が戻ってきたァ!」
 そうして一瞬で竹刀を放りだしお祭り騒ぎのようになる道場内に、あぁ、本当にこいつらは馬鹿ばかりだと思って。
「おかえりなさい、副長」
「お待ちしておりました!」
 それでも、やはりここか、己の帰る場所なのだと、そう思って。

「………ただいま」

 告げたその言葉は、隊士たちに対して、道場に対して、そして、屯所に対して。
 そしてこれからもこの言葉をずっとこの場所に告げられればいいと思いつつ。
 ふと、頭の片隅に銀髪頭の恋人の顔が過ぎって。
 そうして思わず洩れた笑みに、いつかあの場所に只今といって帰る日がくるのだろうか、と。
 だが、それはきっともっと遠い未来の話だと思って。
 でも、きっと、己達の関係はそれでいいと、土方は失くさずにいることができたそのたくさんの笑顔に、もう一度ただいま、と呟いた。





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