砂時計が落ちるまで 15








「十四郎! 十四郎ー!」
 声高にその名を呼びながら、銀時は和室の襖を開け放つ。
 その向こうに敷かれた布団の中で、己の名を呼ばれていることは理解っているのだろう、布団の塊がもぞりと動く。
 布団の隙間から僅かに顔を出した彼が起き上がると、布団と一緒にずるりと肩口から着流しが落ちた。
 夜中に寝返りを繰り返すせいか、朝までその夜着が身体にきちんと纏われていた試しは、殆ど無い。
 銀時は溜息をつきながら和室へと入り、どこか呆けたような顔のままこちらを見る土方へと近寄った。
「おはよう、十四郎」
「……おは、よう」
「脱げてるぞ」
 ちゃんと着とけっていっただろと告げる銀時の言葉に彼――土方は己の身体を見下ろし、取り敢えず着物がはだけている、という事実は確認したらしかった。
 だが、その指は着物を直そうとする仕草はせずに、す、と両手を僅かに脇に上げる。
「銀、なおして」
 そして告げる言葉といえばこの調子で、銀時は仕方がないな、と言うように溜息を吐いた。

 あれから、一ヶ月。
 近藤の記憶を失った土方は意識を取り戻した当初、まるで赤子にでも戻ってしまったかのように全く喋ることも動くことも出来ない状態に陥った。
 呼びかけても虚ろな目を彷徨わせるだけの土方に銀時が半狂乱状態で待機していた松本を呼び寄せ診察した結果、もう万事屋での療養は不可能かもしれないという結論に、一度は達しかけた。
 だが状況が状況だけに一日だけ待ってみようという松本の判断が功を奏し、翌日には土方は自分の力で起き上がり、片言ではあるが言葉を発するようになっていた。
 恐らく激しい記憶の損傷に身体が付いていかず、一時的なオーバーヒートを起こしたのだろうと、二人は焦って状況を動かすことをやめ、往診治療を試みながら経過観察を行った。
 幸いにも、その後土方の症状は少しずつ落ち着きを見せ、自ら立って歩く事や、己の意思を喋って伝えることにはほぼ支障がないことも確認された。
 正確な年齢は勿論分からないが、一般的な知能レベルとしては十二歳前後だろう、というのが松本の見解だった。
 ただこの症状は今後さらに退化する恐れもあり油断はできないが、今の所は言動が幼くなってしまった以外、日常生活に関する記憶が失われていないのは本当に助かったと感じている。
「今直してもどうせすぐに脱ぐだろ。ほら、朝飯できちまからはやく着替えてこい」
 こくりと、土方は頷いて箪笥の方へと立ち上がった。
 基本的に、今の土方は必要以上の事を余り口にしない。
 聞かれれば答えるため喋ることが出来ないわけではないという辺りが安心要素だが、やはり外見は変わらないため未だに違和感は残ってる。
 そして疑問に感じていた病発覚後の出来事をどこまで記憶しているのか、という点だが、これは相当偏りがあった。
 まず、山崎や新八、それに神楽などのことは、言えば反応だけはすることからなんとなく名前に聞き覚えはあるらしい。
 そして松本の事は『何かの先生である』という事は分かっているのか、はじめから彼のことを『せんせい』と呼んでいた。(ひょっとしたら銀時がそう呼んでいるのを聞いた所為かもしれないが)
 そしてこれは喜んでいいのか微妙なところだが、銀時のことは名前をきちんと把握していることは勿論、ここが己の暮らしている場所であるという事もわかっているらしかった。
 これは病発覚後からほぼ欠かさず毎日一つ屋根の下で暮らしていた事から考えても、妥当といえば妥当な結果と言えよう。
 そして現在、土方は経過を見ながら銀時の元で療養を続けている。
 頼みの綱の坂本はどうやらあれ以来一度も連絡がないらしく、だがそれに関し恨み言を言うのがお門違いだというのは理解していた。
 坂本の調査はあくまで『好意』であり、そもそも依頼料など払っているわけでもないのだから、本業があるのならそちらを優先されて当然だ。
 そうはわかっていても多少の落胆を抱えてしまうのは、欲深い人間の悪いところだと分かっているのだが。
「おい、十四郎、かけすぎんなよ」
「……銀、いらねぇの?」
 朝食の目玉焼きにこれでもかというほどマヨネーズを絞り出している様を見て、この悪癖は昔からかと銀時は二重の意味で溜息を吐いた。
「いや、俺目玉焼きにはしょうゆ派だから。マヨネーズ掛けるくらいなら砂糖かけるな」
「……変」
「お前に言われたくないですけどねぇ」
 そうは言うが、例えマヨネーズまみれだろうとまともな食事を取ろうとしてくれているだけ、以前を考えればずっとマシなのだと自分に言い聞かせながら銀時はトーストを齧る。
 目の前で土方がマヨなのか卵なのかよくわからないものを口に運んでいるのを見ながら、そういえばマヨネーズの材料の中には卵が入っているのだとふと思い当たった。
 次いで卵にマヨネーズを掛ける事への意義を考え始めた辺りで、銀時のその至極下らない思考を遮るように玄関の呼び鈴が鳴った。
「先生?」
 その音に、土方がそう反応するのは、休業中の張り紙を出している万事屋に訪ねてくる人物など松本位しかいないからなのだが。
 だが、今日はその往診日ではなく、銀時は首を傾げながらも食べかけのトーストを口の中に放り込んで立ち上がった。
「違うかもしんねぇから、玄関来るなよ」
「わかった」
 今の土方を必要以上に人目に晒す事はしたくない
 銀時は土方にそこから動かないようにと言い置いてから居間から廊下に出て、そこに続くガラスの引き戸をきちんとしめる。
 そして、数回に渡って鳴らされる呼び鈴にはいはいと返事をしながらやはり松本では無さそうだと当たりをつけた。
 松本であればこんな品のないベルの鳴らし方はしないだろうと思いながら銀時は一応木刀に右手をやりつつドアを開け。
「はいはい! すみませんけど今長期休業……」
「おー、おってよかった、まっこと久しぶりじゃのぅ金時ぃ」
 なんですけど、と、続けようとした言葉はそのまま、その底抜けに明るい笑い声へと吸い込まれた。
 だが銀時はそんなことより、突然目の前に現れたずっと連絡のつかなかった『頼みの綱』の姿に驚きの余り絶句してしまい。
「え、さかもとたつま、……さん?」
 ですよね、とどこか他人行儀にも聞こえるような口調で問いかけた銀時に、坂本はまた豪快に笑った。
「何言いうがなー金時、まさかおんしも斑に伝染したがか?」
「いや、ちょっとやめてくれる!? 時事的に今そのギャグは笑えねーよ!!」
 流石に洒落にならんと首を振る銀時に、坂本はだがギャグじゃないぜよ、と肩を竦める
「ほんならよかった。なんせ、薬は一人分しかないきに」
 あの別嬪さんに試す分しか、持っちょらんぜよ、と。
 まるで世間話のようにさらりと告げられたその言葉に、今度こそ銀時は目を大きく見開き言葉を失った。
 今、何かとんでもないことを言わなかったか、この男は。
「……え、薬……?」
 薬って、何のと思わず問いかけそうになり、だがそんなもの一つしかないことにも気付いていて。
「とりあえず、上がってええか?」
 問われたその言葉に、銀時は慌てて坂本を部屋の中へと通した。
 そして坂本が玄関で靴を脱いでいる間に居間に走り、既に食事を終えていた土方を客が来たから暫く和室にいるようにと言い含めてその場から離す。
 土方が和室の扉を締めるとのほぼ同時に、坂本が玄関の引き戸を開けた。
「もうええがか?」
「あ、あぁ。悪いな」
 恐らく坂本は銀時が土方の姿を襖の向こうに隠していること察しているのだろう。
 銀時はそれには触れないでくれる坂本に感謝しつつ、食べ終わった食器などを窓際の机に一先ず移動し話が出来る状態を作った。
 そして、その開けられた机のスペースに、坂本が先程から手に持っていた小さなアタッシュケースを置く。
 その中身を凝視するようにそれを見つめる銀時の前で、坂本は懐から出した小さな鍵を使いケースを開いた。
 中からふわりと冷気が漂ったことから、冷凍保存をして薬が運ばれたのだということがわかる。
 アタッシュケースの中にはアンプルに入れられた薄緑色の恐らく液体が入っており、温度を保つためか坂本はそれを銀時に確認させて直ぐ、ケースの蓋を閉めた。
「今の、緑のが……薬なのか?」
 まだ信じられない、という気持ちで問いかける銀時に、坂本はそうじゃ、と頷く。
「っつーか、……これどっから……」
 連絡不能になっていた間、一体どこでこんなものを手に入れてきたのかと問いかける銀時に、坂本は連絡が途絶えていたことをスマンスマン、と謝りながら答えた。
「斑の特性から、星間移動が珍しくのうなった今、あのウィルスを危険視しちゅう星は他にもあってのう。そん中で既に同種族だけやなく異種族の身体にも使える斑の治療薬の開発に成功した星があるっちゅー話をお得意さんから聞いちょってな。ちっくと遠かったんじゃが、足を運んで正解じゃった」
「じゃあ、……ほんとに、これを飲めば……?」
 土方は、治るのだろうかと恐恐問いかける銀時に、坂本はそこなんじゃが、と目を伏せた。
「向こうの医師の話では、限りなく治る確率は高いが断言ができんということらしい。なんせ地球人で試すのはあの別嬪さんが初めてやき」
「……あ、そうか……、あのよ、言いたかねぇけど、悪化したり、その……」
 坂本の言葉で急に湧きでた不安に従い問いかけた銀時の言葉の先は、坂本にも察することが出来たようで。
 さすがに口にするのは憚られたその言葉に、だが幸いなことにそれはないだろうと坂本は首を振った。
「最悪、治らんっちゅーことになったとしてもこれ以上悪うなることはない。地球人の生体に悪影響を及ぼさんかどうかは、サンプリングをして確認してもらったきに」
 最新機器で影響力を確かめた結果、身体に悪影響はなく、また限りなく百に近い数字で効果があることが立証されたのだという坂本に、銀時はほっとする。
「あ、そうなのか……、っつーかサンプルってまさか……」
「ん? あぁ、勿論わしじゃ。いや、別に痛い事はされちょらんよ。ちょっと数本髪の毛を提供しただけやき」
 医学の進んだその星では、それだけのサンプルがあれば十分な実験が可能だという言葉に、つくづく天人の技術というのは恐ろしいものだと実感する。
 だが、その話の流れから、銀時は唐突に全く別方向からの不安が一気に襲い来るのを感じていた。
 そもそも、そんな最新鋭の機械を駆使するような星が生み出した薬が、そんなに安価なはずなどなく。
「っつーか、ぶっちゃけこれ、………おいくらまんえんくらいなんでしょうか」
 間違っても子供の小遣いで買えるシロモノではないだろうと問いかけた言葉に、坂本はそうじゃのぉ、とそのもじゃもじゃの天パを撫で、指を立てた。
「日本円でいうと、ざっと五百万位かのぉ」
「ごひゃくまん!?」
 そもそも値段に検討も付いていなかった身としてはその金額が妥当なのかどうかすらよくわからない。
 だが、そんなもんだろうと言われればまぁそうかという気もするし、逆にぼったくりだと騒いでも怒られはしないような気がくな気もする。
 だが、どちらにしろそれは一般よりもだいぶ生活水準が低いことを余儀なくされている銀時になど、到底払えるものではない。
 百歩譲って土方の貯金からという考え方もできなくはないがいくら土方が幕臣の端くれだといってもぽんと五百万などとても出せないだろう。
 しかもそんな認可など絶対されていないような薬の使用に保険など降りるはずもない。
 だが、現実にこの薬が目の前にあるということは、まさか。
「あの……、その五百万は今現在どこから……」
 まさか、坂本が立て替えてくれたのだろうかと有り得なくも無さそうな案が頭をよぎる。
 こう見えて、中々の金持ちなのだ、この男だ。
 だがそんな金額など銀時には一生かかっても返せるかどうかわからない。
 それでも、もしどうしてもその金額を用意しなければいけないのなら死ぬまで一生本気で働く位の覚悟はあるが。
 いっそまじめに就職でもしたほうが、でも万事屋はやめたくない、などと銀時が割と真剣に悩み始めた辺りで、坂本は漸く銀時が何を心配しているかに気づいたのだろう。
 思わずといったように豪快に笑った後、大丈夫じゃと笑った。
「おんしに金が無いのは知っちゅう。じゃから、取引したがよ」
「取引……?」
「わしの見る目が正しければ、あの別嬪さんはかなり真面目じゃ。自分の病状日記、つけちょったがやないかえ?」
「……え」
 確かに、土方は後学のためにと病に陥った初期から己の症状や記憶の抜け落ちる頻度などを事細かに和綴じへとまとめていた。
 それを病状日記と呼んでいいのなら。
「……いや、確かに、あるけど」
「その情報と引き換えてくれるがやったら、地球人のモニターちゅう名目で、薬はタダでもええという話じゃ」
 勿論、薬が効いたならその効果も合わせて報告をしてもらう必要があるけれどいう坂本の言葉に、銀時は息を呑んだ。
「え、そんな、……そんなんで、五百万円がタダになるもんなわけ?」
「『そんなん』なんかやないき。他の種族に斑ウィルスがどう影響を及ぼすか、被験体まだまだ少ないがやと。向こうにしてみたら喉から手が出るほどほしいプラチナノートじゃき」
 やはりあったかと、坂本は満足気ににやりと笑う。
「レポートの引渡しは完治後、全ての症状を纏めたものを渡してくれればそれでええと」
「随分信用されてんだな……」
「一時的に担保金として百万、わしが貸しちょるからな」
「なんかもうほんとすみません! お茶も出さずに!」
 今淹れますねと台所に飛び込み、今更ながらに緑茶を入れた湯のみを坂本の前へと置く。
 しかし、と銀時は盆を持ったままソファに再度腰掛けながら有難い反面とんでもない男だとも思った
 これで土方が日記をつけていなかったらどうするつもりだったのだろうと思うが、昔から坂本の人を見る目は基本的に外れたことはない。
「なぁに、全て終われば戻ってくる約束の金じゃ。なんちゃあないき」
 更に茶を啜りながら告げられたその言葉に、本当に己の見る目に絶対の自信を持っているのだろうと、銀時は思う。
「……すまねぇ。その、……ありがとうございます」
 本当に、有難いとそう思って、頭を下げる。
 そんな銀時の様に坂本は一瞬あっけに取られたようなサングラスの奥の目を瞠目させて。
「いやー、金時に二度も頭を下げられる日が来るとは思わんかったぜよ」
「うるせーよ」
 聞きようによっては酷く失礼な言葉だが、それを言われても仕方がない程度の性格をしている自覚は一応ないことはない。
 いつもどおりの恐らく自分らしい憎まれ口を叩きつつも、それでも。
 この男を信じてよかったと、銀時密かに目頭が熱くなるのを耐え、心の底から坂本に感謝した。





 その後、早々に仕事に戻ると言って万事屋を出た坂本を見送った銀時は、すぐさま松本へと連絡を取った。
 薬が見つかったので一度見てほしい、という銀時の言葉に、そんなものが見つかるとは思っても見なかったのだろう松本は初め半信半疑の様子だったが、坂本が置いていった薬と共に置かれていた書類に押された印を見れば、その眼の色を変えた。
 それが天人と係る医師の間では密かに名前が囁かれ始めている医学の発達が目覚ましい星である事を教えられ、だが今だ地球との外交は殆ど無いに等しく、一体どんな伝手でと非常に驚かれた。そしてその答えにちょっと旧友がと答えれば更に驚かれ、だが銀時がそれ以上語る事を好まないことを悟ったのか、薬の出処については松本もそれ上は追求をやめたようだった。
「それで、薬は使えますか……?」
「まぁ、医師としての立場から言われてもらえば認可していない薬を患者に処方すれば、当然罰則を受ける事にはなるが……」
 それは、医師免許を持つものとして当然の意見だろうと思う。
 だが、松本に訳してもらった取説によればこの薬は単純に飲めばいいというものではなく、脳の浮いている液の中にじかに薬を入れる必要がある(髄腔内注射というらしいと後で聞いた)ことが判明したのだ。
 つまり、専門の医師の処方でなければまず薬の投与が出来ない。
 もし松本に断られれば己に伝手がある闇医者に頼むのがセオリーだが、と銀時は目を伏せる。
「責任は、俺が負います。俺が薬を勝手にすり替えたことにしてもいい」
「坂田さん……」
「薬の認可を待ってられません。犯罪の片棒を担がせるような頼みなのはわかってます。でも……お願いします……!」 坂本が手に入れてくれたこの薬に絶対の信頼があるからこそ、己もここまでの無茶が言える。
 そして松本が迷う素振りを見せているのは、松本の目から見てもこの薬の信頼性は高いのだろう。
 それだけに認可前に使う事への危惧があるのは理解できるが。
 今思えばあの五百万があっさりとタダになったのは、ある意味これが闇取引のようなものだからなのかもしれない。
 その星にとってはまだ未曾有の存在である地球の被験体でそのデータが取れるのであれば、確かに五百万など果たし金だろうと今ならわかる。
 そして、時計の秒針がゆっくりと五周ほど回って漸く、松本が溜息とともにわかったよ、と呟いた。
「……このまま何もしなければ、恐らく土方くんの命はもう長くない。それを、助けられる希望があるのにそれをせず、主治医として彼を死なせれば、きっと私は一生後悔する。それは、恐らく罰則を受ける恐怖よりも大きい」
「先生……!」
「とはいえ、私も人の子だ。バレなければそれに越したことはないとは考えているがね」
 そう言って笑った松本の顔は今までとあまり変わらない優しいものだったが、その唇から吐かれた言葉に、銀時はそういえばと今更ながらに、その当たり前の事実を実感する。
「……そういえば、真選組の主治医、でしたね」
 真選組副長を務める土方の仕事には、人や近藤には言えない黒い部分があった。
 その働きには医者のごまかしがなければどうにもならない部分も多々あり、そう考えれば主治医を務める松本が清廉潔白なはずはない、だろう。
 そう予想をつけて問いかけた言葉に、松本はそうだねぇとあっさりと頷いた。
「まぁ、今までで一番危ない橋であることに変わりはないけれどね」
 そう言って笑う松本に、二番目に危ない橋はなんだったんですか、と聞こうとして、銀時はそれをやめた。
 恐らく、望んで踏み入れてメリットなど何もない世界だろう。
 君子危うきに近寄らず。
 首を突っ込んでも、そこには後悔意外何も残らないと、そう感じた。
「幸い今、あの隔離区画に他の患者はいない。確か、長くて一ヶ月ほどで目を覚ますそうだね」
「はい。病状によって、期間はまちまちらしいですけど……」
 銀時はそう言って己では読むことが出来なかった取扱説明書に視線を落とした。
 翻訳をしてくれた松本によれば、注射によって体内に投与された薬は脳内へと回り、患者は眠った様な状態になる。そこで薬が病の原因として脳を侵しているウィルスを駆逐し、同時にウィルスによって損傷を受けた部位を修復する力がある、らしい。
 だが一般的に神経は一度傷ついてしまえば元に戻ることはなく、だからこそ松本も完治は難しいと考えていたようだが、その書類によれば斑ウィルスが傷つけているのは神経そのものでなく、その神経の働きを助け情報を『伝える』役割をする細胞だということだった。
 この辺りからはもう銀時の拙い頭では半分右から左だったのだが、つまり陸奥の以前の言葉を借りれば壊されているのは端子に送られた情報を伝える導線の部分だった、ということだろうかと理解している。
 そして、それを可能にしたのがこの薬なのだという事ならば、確かに病状にも筋が通っているように思えた。
「土方くんの症状はかなり進んでいるからね。なるべく早く、目をさましてくれればいいのだけど……」
「そう、ですね……」
 治療のためとはいえ昏睡状態が続けば、今の体力が落ちている土方の身体にはそれだけ負担になる。
 何事もなければいいが、と思っていると、不意に和室の襖が内側から開き、中にいる土方が顔を出した。
「十四郎、起きたのか?」
 坂本が帰った後位から眠そうにしていたから、ちょうどいいと布団に寝かしつけたのだが、声が大きかったのだろうか。
 目を覚ました上にどこか不安そうな顔をした土方に銀時が駆け寄ると、土方は目を伏せたまま不安げに口を開いた。
「銀、俺をどっかやるのか?」
「え?」
「俺、ここがいい」
 どこにも行きたくない、と首を振る土方に、先ほどの話を中途半端に聞かれたのだろうと、銀時は頭を掻いた。
 そして、大丈夫だ、というように土方の頭を数度撫でる。
「心配すんなって。どこにもやんねーよ」
「でも……」
「どっか行くときは、俺も一緒。絶対、お前の傍離れたり一人ぼっちにさせたりしねぇから」
 だから、安心しろよと頭を再度撫でれば、それで漸く土方も安心したように頷いた。
 そうして、不安要素が消えればまた眠気がましたのか、欠伸を噛み殺す。
 眠たげに目をこする土方の身体をまた布団へと誘導し、銀時はもう一度子供にするように寝かしつけ、居間へと戻った。
 その様子を見ていた松本が、ぽつりと呟く。
「……睡眠時間が、また増えているかい?」
「はい。多分痛みを紛らわす防衛本能だと思うんですが」
 最近は一日の半分近くはうつらうつらとしてますよ、と溜息を付く銀時に、松本はそうか、と溜息を吐いた。
 子供返りをしてからも、土方は時折襲う頭痛を止めるためにも例の痛み止めを飲み続けていた。
 だが、流石に一月も飲み続けていればその効果が徐々に落ちてきてしまうのは仕方のない事で。
 最近は、もう殆ど効果がなくなってきているのか土方は眠ることによってその痛みをごまかしているように思える。
 当然ながら今土方は煙草を吸いたがることもなければ酒を飲みたいとも言わない。
 だからこそ、痛みをごまかすには眠ってしまうしか無いことを本能でわかっているのだろうと、松本は言った。
「彼のためにも、急いだほうがいいね。じゃあ、薬は私が預かり滅菌状態で保管しておく。準備ができたら、土方くんを連れて病院に来てくれ。」
「分かりました」
「では、失礼するよ」
 そういって足早に万事屋を後にした松本を見送り、銀時は足早に居間へと戻った。
 そして黒電話を取り上げ、今度は山崎の携帯へと連絡を入れる。
 既に空で覚えてしまった番号を回せば、程なくして受話器の向こうから山崎の声が聞こえた。
「はい、山崎です」
「よー、ジミー。朗報だ。土方の身体、治るかもしんねぇぞ」
 単刀直入に、そう用件を告げた受話器の向こうに、一瞬沈黙が落ちる。
 突然の銀時の報告を、頭が理解しきれていないのだろう。
 そして、僅かな間を置いた、その後に。
「……、え、どういうこと、ですか……?」
 なんでいきなりそんな話に、と混乱しきったようすの山崎に、銀時は今朝から先ほどにかけての出来事を順に、山崎に向かって説明していく。
 以前から治療法を探してくれていた知人から今日突然連絡が来たことや、薬の概要、それを既に松本に話し、治療の手筈を取って貰っていることなど。
 山崎はどこか呆然とした様子で受話器の向こうで相槌を打っていたが、銀時の話が終わると、それじゃあ、と震えた声でこちらにむかって問いかけた。
「副長は、治るんですね……?」
「まぁ、限りなく百に近い確率で治るとは言われてる」
「そのまま目を覚まさないなんてこと、ないですよね」
「大丈夫だとおもうぜ。あの松本先生が使うのを許したんだ」
 松本は恐らくそういった意味で患者を危険に晒すことを許容出来る人間ではない。
 薬の成分表にかなり細かに目を通していた彼が大丈夫だというのなら、大丈夫なのだと信じていいと、銀時は考えていた。
「また経過は追って連絡すっけど、とりあえず報告だけはしとく」
「分かりました。……あ、そうだ。だったら尚更、少し気をつけてほしい事があるんですが」
 不意に、泣きそうだった山崎の声が神妙になり、銀時は真選組内で何かあったのだろうかと眉を寄せる。
「どうした?」
「実は、最近攘夷浪士達が土方さんを探しているようなんです」
「……それって、仇討ちとか闇討ちとか、そういうことだよね」
「恐らくは。肩書きが失くなったとしても、副長が行なっていた事実がなくなるわけじゃありませんから」
 一般人に戻ったのなら、帯刀ももう出来ませんからねと山崎は言った。
「真選組って、土方の除隊表明してねぇよな」
「えぇ、でも蛇の道は蛇ですから……それに、当然ですがここひと月ほど市中見廻りにも土方さんは出ていませんし、出張というには長過ぎますからね。不信を感じられても、おかしいとは思いません」
 真選組は土方への危険が迫るのを恐れ、その事実を大々的に公表することはまだしていないが、噂というのはどこからでも漏れるものだ。
「土方さんが万事屋の部屋の中だけで暮らしているのならまだ安全だと思いますが、入院となればそこから出ないわけにはいかないでしょうから。……その、どうか十分気をつけて下さい」
「あぁ、わかった。覚えとく」
「あ、事前に言って頂ければ万事屋から病院まで、俺が送りますから」
 ベスパでは身体がむき出しになる分どうしても危険でしょうという山崎に、銀時は分かったと頷いた。
「んじゃ、日取りが決まり次第連絡する。迷惑かけるな」
「いえ、こちらこそ。連絡いただいてありがとうございます」



 *     *     *



 坂本の連絡から三日、入院の準備が整った連絡を受けた銀時は、山崎の車で土方とともに大江戸病院へと向かった。
『……俺は、病気なんだろ……?』
 これから病院にいかなければいけないのだという事情を土方に言って聞かせた時、まるで泣きそうな声でそう言う土方に、酷く胸が痛んだ。
 何もわかっていないようで、きっと土方は土方なりにその残された記憶と知識で様々なものを感じ取っているのだろう。
 銀時はそう思い、土方の言葉を肯定しつつも、だからこそそれを治すために病院に行くのだと告げた。
 土方は銀時の言葉に素直に頷き、眠い目を擦りながらも素直に山崎の車に乗り込んでくれた。
「銀、いる?」
 そして、今土方は薬の投与を待つ間病院のベッドの上にいる。
 上掛けから銀時を探すように伸びたその手をしっかりと握り、銀時は今にも眠ってしまいそうな土方に笑んだ。
「いるよ」
「俺が眠ったら、どっか、行っちゃわねぇ……?」
 不安げに、一人は怖いと呟く土方の頭を撫でて、銀時は大丈夫だよと繰り返す。
「いかねぇよ。ずっとここにいて、ちゃんとお前を守るから」
「ほんとか?」
「あぁ、約束」
 な、と開いている方の手で土方の頭を撫でれば、土方の顔が安心したようにへたりと緩む。
「……よし、準備できたよ」
 その脇で薬を注射器へと移し注射の準備をしていた松本の声に、銀時は注射器をなるべく土方に見せないようにと気をつけながら、土方の上掛けをめくり腰を露出させるような体勢を取らせる。
「ちょっといてぇかも知んねぇけど、直ぐ終わるから。我慢出来るな」
「……ん」
 コクリと首を縦に振る土方の挙動を確認し、銀時は松本にお願いします、と告げた。
 髄腔内注射はある程度の痛みを伴うものであるという説明については事前に受けていたものの、実際それを我慢するのは土方であり、どうか眠気が少しでも痛みの軽減になってくれればと祈る。
 やはり注射の間は土方は痛みを堪えるような声を上げ、銀時は土方の身体が動き身体を傷つけることがないようにと上半身から腰にかけてをベッドに押し付けた。
「……、……よし、終わったよ」
 そして、薬の投与を終えた針を松本が体内からゆっくりと抜き、銀時は予め教えられていたとおり土方の身体をうつ伏せのまま安静な体勢へと変えた。
「大丈夫か? 土方」
「……ん、……ぎん……?」
 薬が投与された土方の身体は既に過度の眠気に侵され始めているのか、その言葉尻はよく聞き取ることが出来ない。
「大丈夫だから、……ゆっくりおやすみ」
「……ぎ、……ん……」
 そして程なくまるで落ちるように眠りについた土方を前に、銀時はほっと息をついた。
 まずは、第一段階の終了。
 そして、ここからが銀時にとっての正念場だった。
 土方がいつ目を覚ますのか、その保証や前例はまったくない。
 だが、そのいつかを信じ、それまで土方を危険に晒すことなく守りきらなければいけないのだ。
 大丈夫、絶対に治ると。
 銀時は眠ってしまった土方の手を握ったまま額に当て、襲い来る不安を払拭するようにそう呟いた。




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