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「トシ、考えなおす気はないか?」 「ない」 「せめて、休職とか……」 「復帰できる保証はねぇ」 「でも、復帰できねぇのが決まったわけじゃねぇだろ」 「後四日だぞ。もう、秒読みも遅いくれぇだ」 「でもいくらなんでも除名はよぉ……」 もう取り返しがつかないではないか、と。 先程から何度目になるかも分からない攻防に、土方本人も、そして念のためにと同席していた山崎も些かうんざりとしていた。 明け方から数時間だけ仮眠を取り恒道館を後にした土方と銀時は、万事屋に着くなりまるで待ち構えていたかのように血相を変えた近藤に捕まった。 恐らく概略な事情だけを聞かされ、山崎に適当な時間に万事屋に来るように言われていたのだろうが、まさかこんな時間からすでに来訪しているとは思わなかったのだ。 銀時は組内部の話に関わるのは遠慮すると、気を使って暫く外に出てくれている。 土方は最早涙目で止めにかかってくる近藤に、どうしたものかと溜息を吐いた。 「……近藤さん。アンタの言いてぇ事はわかるし、そんなふうに引き止めてくれんのは正直嬉しい。でも、……これは、俺のケジメだ。役立たずのままその席に縋って、真選組に居続けることより、俺はどうせ終わるなら自分で終わりを決めてえんだ」 「だが、俺はどうしたってトシがいなくなんのはいやだ。お前がいなければ真選組はねぇ」 「だからこそ、……俺の手では潰せねぇ。わかんだろ、今の俺はお荷物だ。この上アンタを忘れたら、俺は真選組が大事だったことすら忘れちまう。そんな人間が、……副長なんぞ、おかしい。俺が許せねぇ」 アンタが許しても、俺が許せない、それだけはどうしても無理なのだと。 「俺は、一緒に真選組を作り上げたもう一人の仲間を、……沖田総悟を、既に忘れてる。何も覚えちゃいない。隊士だってもうほとんどわからねぇ。正直屯所の中の記憶も朧気だ。……もう、限界なんだよ……」 大事だったものが零れ落ちて、その痛みすらわからない。 最初から知らないようになってしまうのだから、怖くもなんともないから。 だが、そのことに恐怖を覚えない自分が――何より恐ろしい。 「俺は今真選組への忠誠を、近藤さん、アンタへの記憶だけで支えてる。それがなくなったら、多分、崩壊する。真選組? なんだそれ、って……、そんな事言う俺が、それでも必要か?」 「トシ……」 「真選組に、必要か? 役にも立たねぇのに、なんの意味がある……!? っただのお荷物だろ!! 違ぇかよ!?」 「トシ! 落ち着け!」 呼ばれて、初めて自分が取り乱していたことに気付き、我に返った。 酷く荒い息を整えながら改めて近藤の方を見やれば、恐らく土方の剣幕に驚いたのだろう、その顔は驚きと困惑に染まっていた。 「……、すまねぇ、近藤さん……」 下を向いて俯いたまま、ぽつりと謝る土方に、近藤はいや、と首を振った。 「俺の方こそ、すまねぇな……」 そんなに取り乱すほど、怖くて仕方のない事を強要していたのかと、近藤は伸ばした手で土方の頭をぐしゃぐしゃと撫でた。 「……お前の、今の一番の望みはなんだ?」 久しぶりに感じるその手のひらの感触に、泣きたい気分が襲う。 このやさしい手を、どうして自分は忘れてしまうのだろう。 どうして、覚えておくことが出来ないのだろう。 そんな、簡単なことが、どうして。 「……真選組を、……守ってほしい。俺が、すげぇ、大事にしてたもののはずだから」 己の書き綴った日記に、その文字がない日はない。 毎日、毎日、記憶の中にあるその姿を一心不乱に書いていたのだろう。 だからこそ、己はこんなになってもその存在を大事に思うことができる。 記憶の中にもういない山崎や、沖田を、大事な仲間だったと思うことができる。 それを書いたことすら、いつの間にかまた忘れてしまっていたのだろう。 こちらに戻った時、持っていった日記を最初から改めて読みかえすと、数カ月前の自分が山崎や沖田と己との関係を書き綴った下手な人物紹介のようなページを見つけることが出来た。 沖田に至っては会えば暴言、死ね土方は当たり前、とかバズーカに気をつけろ、などと書かれていて紹介なのか警告なのかよく分からない節もあり、一瞬自分が生きていることすら不思議になったのだが。 そして、銀時のページを開ければ、そこには己が忘れてしまっていた銀時の『立場』についての話が書かれていて、胸が酷く傷んだのを覚えている。 そして、真選組については毎日書き綴ってもまだ足りない、という勢いで紙面の殆どがその話題で埋まっていることもあった。 それほどまでに大事だったその居場所を、己が汚すことだけは、どうしても耐えられないから。 「……頼むよ、近藤さん」 どうか、退任を許してほしいと。 土下座をする勢いで頭を下げれば、近藤は散々迷ったような顔をしたものの、とうとう根負けしたように首を縦に振った。 「……わかった。お前が覚悟したんなら、俺も腹を括る。後の事は、俺や総悟に任せておけ」 「……ありがとう、近藤さん」 了承の答えを受け取ってしまえば、後に残るのは安堵と、どうしようもない焦燥感。 寂しくないなどといえば嘘に違いないが、決意を撤回する気はもう、土方にはなかった。 「隊士の連中には、……その」 「分かってる。自分で話すさ、最後くらいはな」 ずっと、病気で療養中だとここ一ヶ月ほど土方はその病状を隊士達に騙し騙しここまできた。 だが、こうなった以上、隠さずにきちんとそれを説明しようと決意する。 どちらにしろ、それが最後なのだ。 「そうか。……日取りは、どうする。早いほうがいいのか?」 お前の体調に合わせるぞ、という近藤に、出来れば銀時を忘れてしまう前に蹴りを付けたいと考えてしまうのは、やはり甘えだろうかと自嘲して。 それでも、その安心感に抗う事だけはどうしても、難しかった。 「……明朝に、顔を出したい。……だめか?」 さすがに急すぎるかと、問うような視線を投げる土方に、近藤は構わんよ、と首を縦に振った。 「書類だのなんだのは後でもいいだろう。朝礼に時間を設ける。ちゃんと、最後に会ってやれ」 「……あぁ」 もう、殆ど顔を覚えていない真選組の隊士達。 それでも己にとってはなによりも大切な、部下であり、同士であり、そして仲間だ。 だからこそ、最後にその顔をきちんと見ておきたい。 見て、そして、自分の口で謝りたいのだと。 「……、近藤さん」 「なんだ?」 「……俺ァ、アンタが好きだった。アンタを守れて、親友だといってもらえて、隣で仕事ができて、本当に幸せだった」 「トシ……」 「……、ありがとな」 すまない、とか、さよなら、とか。 言えばきっとこの人は泣いてしまう気がして、土方は迷った末その言葉を言葉にしたけれど。 「……っ、トシ……」 「ちょ、おい、……ったく……」 結局、近藤は泣いてしまって。 「トシぃ〜……」 「泣くなって、近藤さん! あー、みっともねぇ」 こんなことで、己がいなくなって大丈夫なのか、とか、そんな甘えのような考えが頭をよぎった、けれど。 もう終末はひたひたと、音もなく背後に忍び寄っている事はわかっているから。 土方はただ、近藤の涙を傍にあったティッシュで拭いながら、唇を噛む。 どうせ、己の記憶が消えていくのなら、それと同時に彼らの中の己の記憶も消えてしまえばいいではないか、と。 そうすれば、もう近藤も、山崎も、そして銀時も。 己に忘れ去られることで悲しい顔をする人などいなくなるのに、と。 「……なぁ、泣くなって……な?」 そんな馬鹿な事を本気で、願った。 「ただいまーっと」 近藤がまだどこか泣きそうな顔をしながら山崎に付き添われ万事屋を後にした、その一時間ほど後。 外で時間を潰してくれていた銀時が万事屋に戻り、土方は玄関に出てその姿を迎えた。 「おかえり。悪かったな」 「いんや、別に。……話、すんだか?」 無事に除隊の了承はもらえたのかと心配した様子の銀時になんとかな、と頷き、次いで土方は思い出したように銀時に問いかける。 「そうだ。さっき頼んでた件なんだが……」 「あー、あれな。悪ぃ、なんか今直ぐには無理そうだわ。まぁ、レスポンスきたらまた連絡くれるらしいけど」 「そうか……」 あれ、とか坂本の件だった。 先程銀時がこの場を離れる際、土方は坂本に一度こちらから連絡を取れないか、と相談し、銀時は少し迷った風だったが聞いてみるわ、とそれを了承してくれた。 しかし、それは銀時が渋ったというより困ったのだと、土方は銀時の返答からそれに気づく。 「なんか、連絡取りづらい海域まで出ちまってるらしくて、まぁ、そのうち返答は来るだろうってことらしいけど」 「そうか……」 無意識に個人名を伏せるようなやり取りになっているのは、お互い理解っている。 それは坂本宛てにこちらから連絡を取る唯一の手段が、己の立場からすれば見て見ぬふりをする事が求められるようなこと――言ってしまえば、桂とコンタクトを取ること――だからだ。 その己の宿敵とも言える相手を連絡の中継地点にしているという罪悪感のような自己嫌悪のような感情は、うまく説明ができない。 もういい加減事実を知っていてお互いに触れぬ存ぜぬで通していた事実を、こんな形で再認識させられるとはと、銀時と土方も微妙にぎこちない気分を味わう羽目になっている。 だが、その唯一の手段を使ってでも坂本に連絡を取ろうと思ったのは、彼の返事を待たずにこんな諦めに近いような行為を進めている事への罪悪感からだったのだが。 目を伏せる土方の頬を撫でるように包みながら、銀時はそんな顔すんな、と土方の目を見て言う。 「っつーか、別に完治を諦めたわけじゃねぇだろ。だったら、このままもう少し甘えとけって」 「そりゃ、てめぇはそれでいいかも知んねぇけどよ……」 この病が治ればそれに越したことはないけれど、この件で坂本の仕事に支障をきたしているのでは、と土方はずっと気にしていた。 今回のことで、その不安が耐えられない所まで蓄積したのだ。 だが銀時のほうがまるでそんな事はどこ吹く風で。 「普段は陸奥に仕事任せてキャバクラに行ってるような奴だぜ。ちっとくらいこき使ったって構いやしねぇよ」 寧ろ存分に搾取しておけという銀時に、既知のお前はいいだろうがと反論しようとしたが、流石にやめておいた。 ここまでさんざんこき使っておいて、今更銀時に文句など、言えた立場ではない。 だが、連絡が取れない以上こちらの意思を伝えることも出来ないと、土方は一旦そこで己の中に整理をつけた。 「……わかった」 「ん、宜しい。あ、飯食った? 食ってねぇよな。なんか作るか」 もう昼も近いから朝昼兼用でいいよな、と言いながら己を離れ台所に向かおうとする銀時を、土方は咄嗟に引き止めた。 それは、今記憶が変に薄れてしまう内に銀時へ渡しておきたいものがあったからで。 「悪い、万事屋。飯の前に、一つだけいいか?」 「……? いいけど、どうした?」 袖を掴んで銀時を引き止める土方の方へと再び向き直ってくれた銀時に、土方は懐から二通の封筒を取り出し、それを銀時へと渡した。 「これを、……お前に持っててほしい」 「……手紙?」 誰宛だ、と呟き封筒の表書きをみた銀時はそこに自分の名前があることに気づいたのか少しだけ驚いたような顔をする。 そしてもう一方の封筒には誰の名前も書いていないのを確認したのか、その視線はそのまま己に向いた。 「え、っと……これ開けて」 「だめだ。今じゃねぇ」 今読むもんじゃねぇよ、と首を振れば、銀時もなんとなくの事情は察したらしかったが、土方は言葉を接いだ。 「俺が、お前を忘れちまったら。……そん時に、その名前がない封筒を、忘れちまった俺に渡してくれ」 「こっちは、そん時俺が開けていいの」 「あぁ、お前宛だ。……頼めるか?」 「そりゃ、勿論」 このくらいお安い御用ですよと笑む銀時に、ほっとする。 銀時は二通の手紙を持って廊下を抜け、居間に置かれた机に向かう。 その後を付いて居間に入ると、銀時は机の一番上の引き出しの中に手紙を入れているようだった。 それが銀時に間違い無く渡ったことを確認して漸く、土方の中で何か、役目を終えたような安堵感が芽生える。 これでもう、土方は何も心配をすることはなくこの記憶を病へと明け渡す覚悟が出来た。 真選組は近藤に託し、そして忘れゆく自分と、そしてその自分を押し付けてしまう銀時へも、伝えたい言葉は全て手紙の中へと綴った。 だがら、もういいのだと、そう思っても。 寂しいという気持ちだけは、どうしても上手くコントロールすることができないのだと思う。 それでも、いつか、忘れゆくことでこの痛みも一緒に風化してしまえたら少しは楽になるのだろうか。 「土方、大丈夫か?」 「何が、だ?」 大丈夫かと、聞かれる人間が大丈夫なはずはない、と。 前に銀時が『大丈夫だ』という己にそんな説教をしてきたことを不意に思い出した。 つまり今の自分は、少なくとも銀時の目には大丈夫ではないように見える、ということで。 「顔色悪いぞ。っつーか、いろいろあって疲れたろ。どうする? なんか、食えそうか」 空きっ腹はよくねぇと思うけどと、土方の額に額を宛がう様は検温のようにも、ただの甘やかしにも見える。 正直食欲があるとは言いがたかったが、昨夜から何も食べていないことは確かだったから、素直に頷いた。 何より記憶があるうちに少しでも、銀時の料理を食べておきたかった。 料理だけではない。 少しでも長い時間を、銀時と過ごしておきたい。 今日位は、マヨなしで食べるのも悪くないかもしれない、とそんな事を思う。 「そか。なんか食いたいもんあるか? 考えんのたるかったら、適当に食いやすそうなもん……」 「白飯と、味噌汁と、……甘い卵焼き」 銀時の言葉を遮って告げたそれは、万事屋の定番な朝飯のメニュー。 質素倹約をスローガンに掲げたようなそれは、だが土方が内心何よりも気に入っていた組み合わせだった。 特に銀時が彼の好みで作った卵焼きは、少し甘すぎるような気はするもののふわふわとしたその触感が土方は存外気に入っている。 どうせなら、あの味を忘れてしまう前に、最後にもう一度食べておきたい。 土方の意図を悟ったのかは分からないが、銀時はその言葉に嬉しそうに頷いて、ぽん、と土方の頭を撫でた。 「りょーかい。飯、炊いてくっから部屋で休んでろ」 「応」 手伝おうかと申し出ようとも思ったが、大丈夫かと心配されるような顔色をしているらしい自分にそんなことを言われても、きっと銀時に気を使わせるだけだろうと、土方は素直に部屋へと戻った。 程なく、台所からは飯を炊いたり味噌汁を作る良い香りが漂ってきて、土方は壁に身体を預けながらその音と香りに身を任せるように目を閉じる。 そうして、出来上がった昼食は土方の希望通りのもので、とても美味しかった。 銀時と並んで、話しながら食事をする。 これで一つ、記憶を無くす前にやっておきたかった事は達成できたと、土方は胸中で密かにその項目にチェックを入れた。 残り少ない、銀時との時間。 その間にあといくつ、そんな項目をこなせるだろうか。 食事が終わったら片付けを手伝いながら、不意打ちにこちらからキスでもしてみようか、と。 まるでタイムトライアルだと、どこか緊張感のないことを考えながら、土方はふわふわと卵焼きを咀嚼する。 それを飲み込み、土方は唐突に思いついたように、その言葉を唇に載せた。 「銀時」 「んー? ……はっ!?」 突然名前で呼ばれた事に気付き、驚いたのだろう。 銀時が慌てたように箸を取り落とし、慌てて机の下に落下したそれを追いかけている。 そんな銀時の挙動を見ながら、土方はまたチェックを増やした。 (『名前で呼んでみる』……達成) これで、また一つ。 顔を真赤にしながら箸を拾い上げる銀時が、なぜかひどく可愛らしいように感じて。 隠し切れない笑みを浮かべながら、土方はもう一度唇だけで、こっそりとその名を呼んだ。 |