砂時計が落ちるまで 4








 坂本辰馬が海援隊を率い、地球のターミナルへと降り立ったのは予定通りその三日後のことだった。
 銀時は小包が届いたその日の内に、手紙を携え坂本が滞在する予定の宿に赴き、坂本がチェックインをしたら、すぐに本人から己の元へ連絡を入れてくれるよう言伝を頼んだ。
 坂本の事だ、銀時が連絡を取りたいと言っていることを知れば、嬉々として電話をしてくるだろうと、自惚れではない程度に自覚はあった。
 己の一体どの辺りがお気に召したのかはしらないが、坂本は戦の最中から戦線離脱まで、何かにつけては銀時に構い、共に歩もうと手を引いてくれたのだ。
 最終的にその手を払ってしまった事は事実だが、それは別離のための拒否ではない。
 現に今も、関係は違えど己と坂本は偶然の再会からまた交友を深めている。
 そして今日、銀時は坂本からの返信を受け、土方と二人、坂本の滞在している旅館へと足を運んでいた。
「しかし、つくづくてめぇはよくわかんねぇツテが多いな」
 しかも揃いも揃って大口かよと、老舗高級旅館のロビーで煙草を吹かす土方は、数日前の己との会話を反芻しているのか、溜息混じりに紫煙を吐き出した。
 その呆れとも関心ともつかない土方の反応に、銀時はなんと反応しようかと悩み、結局曖昧な笑いでごまかす。
 土方とて銀時の過去についてはもう十二分承知だろうし、銀時とて今更隠し立てしようという気はない。
 ない、が。
 それでも、土方の仕事に己の過去が影響を及ぼす懸念は常に二人の関係に付きまとってくるのだ。
 だからこそ、どちらもおおっぴらにそれを話題に出すことはめったにない。
 現に数日前の坂本の話も、銀時が僅かにそれを臭わせれば土方はすぐに二人が知り合いである事情を察してくれたようだった。
 そして坂本から万事屋へ電話があったのが、先ほどの話。
 銀時の思惑通りその珍しい言伝に直ぐに連絡を入れてくれた坂本に、銀時は話があるから時間を開けて欲しいと頼んだ。
 常ならぬ銀時の声色に、それが真面目な用件であることはわかったのだろう。
 坂本は二つ返事で今からにでも宿にきてもらって構わんきに、と言ってくれた。
 時刻はその時点で十時を回っていたが一刻も早くと急く気持ちもあり、銀時は新八と神楽に留守番を頼み風呂上りの土方に事情を説明した。
 事を知れば土方もすぐに寝間着から外着用の着流しへと着替えを済ませてくれ、銀時はその間に己も出掛ける準備をして二人で早々に家を後にした。
「すまん、待たせたのう」
 そろそろ来る頃ではないかとロビーの柱時計に目をやった銀時に、頭の後ろから声がかかる。
 その聞き慣れた落ち着いた静音に振り返れば、笠を目深にかぶった陸奥がこちらへ向かい歩いてくるところだった。
 相変わらずの侠客風の出で立ちと、その姿に、土方が少なからず驚いているのがわかる。
「……坂本さん、か?」
 ひそりと、銀時の耳元で声を潜める土方に、銀時は緩く首を振った。
「いや、違う違う」
 てっきり本人が来たと思ったのだろう。
 坂本が女性であった事に驚いている風な土方に冷静に訂正を入れ、銀時はソファから立ち上がった。
「よぉ、陸奥」
「久しぶりじゃのう、頭は部屋じゃ。……そっちが客か?」
「おう。土方、こいつは陸奥。坂本の部下だ」
 銀時の横に立つ土方へと視線を向けた陸奥に、土方がすっと会釈を返す。
「土方と申します。夜分遅く、押しかけて申し訳ない」
「頭が呼んだがやろう、ほんなら気にせんええき。わしは海援隊副官の陸奥。……部屋はこっちじゃ、ついてきぃ」
 前半は土方に、後半は二人に。
 ふわりと踵を返す陸奥に、銀時と土方は一度視線を交わらせ、後を追った。
 至る所に品の良い調度が飾られた廊下を歩き、その一番奥にある一室の前で陸奥が歩を止める。
「頭、入るぞ」
 声とともに鍵を使い扉を開けると、広々とした空間が広がった。
 応接間と思われる部屋の真中に置かれたソファに座っていた坂本が、こちらに気付き手を振る。
「おー、金時ぃ会いたかったぜよぉ!」
「銀時だ」
「久しぶりやにゃ金時。おー? そっちが電話で言うちょった土方くんか? やーこりゃまた偉い別嬪さんじゃのぅ」
 名前の訂正に等耳もくれずにじろじろと土方をサングラスの奥の瞳で見つめ、挙句そんな事を言い出す坂本に土方が一瞬怯んだ。
「はっ!? あ、いや……夜分遅くに、申し訳ない。俺は土方、」
「あーあーいいってこんなヤツに挨拶なんて。っつーかどういう感想だ。念のため言っとくけど俺のだから触んじゃねーぞ、殺すぞ」
「お、おい、てめ……!」
「あっはっはっは! おっかないやつじゃのー金時ー」
「ぎ、ん、と、き、だ!」
 そのネタほんといつまで引っ張んだよお前はよ、と悪態をつきながらも、今日はこれ以上余計に絡んでいる余裕はないと、銀時はまだ何か言いたそうな土方を連れ無遠慮に坂本の対面にあるソファへと腰を落とした。
 次いで戸惑い気味の土方を強引に横へと座らせ、銀時はまっすぐ坂本を見る。
 そして、単刀直入にこう切り出した。
「前置きメンドクセぇから、本題からいくぞ。夢獏星、もしくは緑猿星。どっちでもいい、どっちかの星の名前に聞き覚えねぇか?」
 なんの脈絡もない問いに、だが坂本はすいと真面目な顔になり疑問をこちらに投げる事なく、頭を少し傾げ記憶を反芻した。
「むばく……しんえん……、ああ、どっちも知っちゅう。最近地球とも取引が増え始めたらしいのう。確か数カ月前に、陸奥が取引に行っちょったっけ」
「それは、どっちだ?」
「夢獏じゃ。あっこはなかなか面白い星じゃきに」
 わしもまた行ってみたいぜよ、と笑う坂本に、銀時は苛立ちを押し隠すように息を吐き出した。
 どこか楽しそうな坂本に、罪はない。
 それよりも、今は。
「なぁ、その夢獏でも緑猿でも、どっかよその国でもどこでもいい。記憶が、こう、ランダムに抜け落ちるような病気って……聞いたことねぇか」
「はぁ?」
 土方の症状をなるべく明瞭に、一言で纏めて問いかける銀時に、坂本は首を傾げた。
「記憶喪失かや?」
「いや、わかんねぇけど……一気に忘れるんじゃねぇんだ。こう、ずきーって頭痛くなって、治まったら忘れてる、みてぇな……」
「何をじゃ?」
「だから、それがランダムなんだよ。次何忘れんのか予想もつかねーの!」
 改めて症状を口に出しながらも、だからどんなテレビドラマだよとその症状の現実味の無さにため息をつく。
 やはりそんな突拍子もない病気などそう簡単にわからないのではと、銀時が拳を握った、直後。
「あぁ、そりゃ多分、斑じゃのう」
「…………は?」
 あまりに、あっさりと。
 なんの迷いもなくきっぱり言い切られたその言葉に、不覚にも反応が遅れた。
 ちら、と横にいる土方の方をみれば、土方もまるで予想もしなかった突然の答えに反応できずに固まっている。
「………まだら?」
 聞いたまま、音を反芻する銀時に坂本はそうじゃ、と頷いた。
「斑。おまんの言うちょった夢獏星の流行病じゃ。『まだら』に記憶が抜ける症状がでるき、そう呼ばれちょる。」
「……記憶がまだらにって……それ流行り病って言っていいのか?」
 そんな危険な病気をと、困惑する銀時に坂本は頷いた。
「あぁ。地球で言う風邪みたいなもんじゃ。わしらが訪れた時はもう患者も殆どおらんかったき、症状を聞いただけじゃけどな」
「症状って……、っつーか、原因は? 感染元は、どこなんだ? っつか治るのか?」
 風邪に例えたということはそんなに危険な病気ではないのだろうか。
 先ほどの坂本の口調では、一度かかった患者が既に殆ど治っていたような言い方をしていたが。
 そもそも、土方がなぜその『斑』という病にかかったのかと、矢継ぎ早に問いかける銀時に、坂本は頭を掻いた。
「さぁて……わしもそんときちらっと聞きかじっただけじゃき……」
 詳しい話は、と腕を組む坂本に、銀時は言葉を重ねた。
「その病気の詳細を、もっと調べられねぇか? 感染元とか、薬とか、治療法とか……」
 頼む、と頭を下げる銀時に、坂本と陸奥は些か驚いたような顔をし、つい、と土方の方へと視線を向ける。
 急に視線が向いた土方は一瞬身構え、すい、と坂本のサングラスの奥の瞳が細まる。
「……、おまんがか?」
 そして問いかけられた言葉の意味に、土方は、素直に頷いた。
「はい」
「……発症したのは、いつごろじゃ?」
「え、……あ、……二ヶ月ほど、前です」
 頭痛が出始めた時期からカウントすれば、もうその程度の時間経っているだろうという土方に、坂本は一瞬だけ驚き、次いで顎を撫でる。
「なんだよ。なんか、わかったのか?」
 なるほど、といった顔をしている坂本に、銀時は視線を強め、坂本は言った。
「わしが見てきた斑は、みんな半月もすれば綺麗に治まっちょった。」
「なんだよそれ……」
「それを、これから調べる。しかし、……なるほどな」
 後半はまるで独り言のように、坂本の瞳は土方を写す。
 こりゃ必死になるはずじゃと、呟き坂本は豪快に笑った。
 そして、不意に笑いを止めれば、坂本は陸奥の方へと向き直る。
「陸奥、聞いたとおりじゃ。すぐに斑についての資料を揃えてくれんかのう」
「了解じゃ」
「辰馬……!」
「あ、ありがとう、ございます」
 逆に慌てて頭を下げる土方に、坂本はなんのなんのと手をひらひらと振った。
「なんちゃあ気にしなや。珍しいもんも見れたしのぅ」
 なにせあの金時がわしに頭を下げたがやきとまた笑う坂本に、陸奥は呆れたようにため息をつき、だがちらとこちらをみやり踵を返した。
「急げよ、そうじゃな……遅くとも一週間以内じゃ」
 そして去ろうとする陸奥に、そんな言葉を投げた辰馬に。
「心配しなや、五日で揃えるき」
 陸奥はそう告げ、振り向くこともなくその場を去っていった。
  


*     *     *



 陸奥の言葉に嘘はなく、万事屋の黒電話に件の連絡が入ったのは例の会合からちょうど五日後だった。
 夢獏に直接掛け合い、どんな方法を使ったのか病状のデータを資料として貸し出すことに了承をもらったというその知らせに、銀時と土方が浮き足立ったのは言うまでもなく。
 これまでで最も有益で、土方の治療へと繋がるはずの第一歩に。
 だが、待っていたその資料の内容は、銀時と土方が待ち望んでいたようなものでは、なく。
「………治療法がねぇって、どういうことだよ」
 一週間ぶりに訪れた坂本の滞在先の一室で、重要機密という意味らしい異国語の判が押された資料を手に、銀時は蒼白な顔でそう問いかけた。
 対面のソファでは、坂本が珍しく痛切な面持ちでわずかに目を伏せている。
 銀時に手渡された資料は中身も当然のように全く読むことが出来ない言葉で綴られていたが、異国語に堪能な陸奥が翻訳してくれたであろう書類が数枚添付されていた。
 その書類によれば、土方が侵されている病『斑』は、先日坂本がそう発言した通り、夢獏星に昔から存在する流行病だった。
 最も『斑』という名前自体もそれに似た意味の無獏語を日本語に翻訳したもので、正式な病名は地球にはない音を使用するために地球人はうまく発音ができない。
 そのため、最も近い単語である『斑』を使っているのだと、陸奥は言った。
 そして、その治療法は、医師が薬を投与したり手術を行ったりするようなものではなく、夢獏星人が生まれつき持っている抗体に頼った自然治癒だというのだ。
 それは要するに、『安静にしていれば、そのうち治る』ということ。
 だが逆に、もしその抗体をもたぬ生物が、この病気にかかってしまったら。
「夢獏星に生きる物の中にも、時折、この抗体を持たず生まれるものはおるみたいじゃ」
「だったら、あるだろ。そういう奴らを治す方法が……!」
「じゃが、まだ治療法の確立は、為されちょらん」
 しつこく聞いたが、本当にないのだと頭を下げられるばかりだったという坂本に、銀時は言葉を失う。
 そんな、だって、そんな事は。
 銀時の言いたいことは痛いほど分かるのだろう。
 坂本は開いた膝に肘を乗せ、手のひらを組んだ姿勢でぽつぽつと呟くように説明をしてくれた。
「こん抗体を持たんと生まれてくる夢獏星人は、ほんに稀で、今までの夢獏の歴史上確認できたもんはニ人しかおらん。上に、どちらも数年もまたずに、亡くなっちょるらしい」
「………対症療法も、ないのでしょうか……?」
「頻発する苦痛を緩和する方法ならあるみたいじゃが、根本的な原因を散らす方法は、今のところはないそうじゃ」
 書類を眺めていた土方の力ない問いにも、坂本はただ、そう答える。
 様子をうかがうようにそちらへと視線を向けた銀時の目に映る土方の顔は真っ青で、血が通っているかが心配になるほどに色をなくしてる。
 無理もない、と銀時は目を伏せた。
 自分とて、気を抜けばこの場で倒れそうなほどに気分が悪いのだ。
 当人である土方の心境など察して、余りある。
 無意味かもしれないと思いつつも、銀時はソファに置かれたまま小刻みに震える土方の手のひらを、いつかの時のようにそっと包んだ。
 坂本から手渡された書類には、斑を引き起こすウィルスの写真や説明も添付されていたが、その所々に同じような単語がいくつも並んでいる。
 その単語の意味は、日本語で言う『不明』。
 つまりウィルスの特性自体、発症した星でもまだ未知のものなのだということだった。
 なにより夢獏星人のだれもが、斑に対する抗体を『誰もが生まれながらに持っていて当たり前のもの』という認識でいるそうだ。
 生まれてすぐ、このウィルスに対する抗体が体内にあるかを調べる検査も任意で受けられるが、受診する親はほんの一握りだと、夢獏星の医師は言っていたらしい。
 それほどまでに、この病気は夢獏星人にとって何ら危険視されていない病気なのだと分かる。
 地球においても毎年流行する風邪は存在するが、その中の何人が風邪によって命を落とす危険を想定するだろうか。
 肺炎のように悪化しない限り、寝ていれば治る。
 まさにその通りだ。
 苦し紛れにもう一度書類を読み直す銀時の目に飛び込んでくるのは、先程から何度も読み返した斑の病状を書き記した記述。
 それによれば、主に斑患者の記憶の欠落は慢性的な痛みによるものと、ある一定周期で起こる激しい痛みの二種類からなる、らしい。
 このニつは併発することもあればどちらか一方の場合もあり、それは抗体を持つ患者でも変わらない。
 (風邪を引いた時、頭痛から発症に気付く人間や鼻からおかしくなる人間がいるのと似たようなものだと陸奥は言った)
 感染経路は主にはそのウィルスを持つ蚊によく似た昆虫類に刺されることによるもので、体液や皮膚などの接触や飛沫感染はしない。
 つまり、人から人へ蔓延するような病ではない、ということだった。
 しかも、その昆虫は皮膚を刺す際に軽い麻酔のような成分を口から抽出するため、ほとんどの夢獏星人は己が刺されたことにすら気づかない場合が多いらしい。
 痛みで倒れ、初めて発症に気づくケースが九割だと書かれていた。
 その痛みの度合いも体質によるもので一定ではなく、少し症状が重い場合は先に話が出た対症療法で痛みを散らし、抗体による緩和を待つ。
 慢性的な痛みの場合は一般的な頭痛薬でも十分にその効果は発揮されるらしく、勿論記憶欠如は起こるが同じように時期を待てば抗体が働き症状は緩和する。
 そうして、長くて一ヶ月程度で、ウィルスは抗体によって再起不能となる。
 それが一般的な、斑の治療法らしい。
 余談だが、一度斑を発症してしまえば、以後斑にかかる事は二度とないとも、資料には書かれている。
 まるで麻疹のようだと、銀時は思った。
 そして、銀時達にとって最も驚いたのは、この病が俗にいう『記憶喪失』ではなかった、ということで。
 おそらく神経麻痺に近いものなのだろうと、書類を読み陸奥から説明を聞いた銀時はそう理解していた。

『海馬を大きな外付けハードディスクと仮定し、斑はこのハードディスクの端子を破壊する。端子が壊れちょったら、中のデータが生きてちょっても、データは取り出せん。そういうことじゃ』
『えーーっと、つまり……蛇口が壊れた水タンク、みたいな? ほら、中に水が入ってても蛇口がバカだと水飲めない、みたいな』
『……ぞんざいな例えじゃが、当たらずとも遠からずじゃ』

 つまり海馬(記憶)そのものには全く影響を及ぼさず、むしろその間を繋ぐ回路の運動を麻痺させ、情報伝達を阻んでしまう。
 患者を襲う痛みは回路が麻痺する際に生じるものだと、資料には書かれていた。
 しかも厄介な事に夢獏星人と地球人とでは身体構造がまるで違うため、斑ウィルスが地球人でいうどの記憶関係回路に影響を及ぼしているか、それを特定する事が難しいかもしれないのだという。
 その言葉の通り、苦しまぐれに何度資料を読み返しても、抗体のない生物が病を治す方法などどこにも、書いていない。
 銀時は衝動のまま、書類を机に思い切り叩きつけた。
「……っざけんな……なんで、……なんで、よりにもよって……!」
 なぜ土方なのだと、銀時は思う。
 夢獏へ足を運んだ人間は、土方一人ではない。
 護衛というからには当然、護衛対象である幕臣や、他の隊士も同行していただろう。
 その中でなぜ、土方一人が。
 もし万が一、土方の他にも件の虫に刺されている人間がいれば、同時期か少なくともこの数ヶ月で必ず斑を発症しているはずだ。
 だが、先程松本に電話で確認をしたが、ここ数ヶ月土方以外にこの病を発症した人物は、少なくとも松本の目が届く範囲では土方しかいないらしい。
 運が悪かったのだといえばそれまでだが、それを認めるにはあまりにも現実は非情で。
「……帰るぞ」
 ぽつりと、呟かれた言葉に、銀時は緩慢な仕草で顔を上げた。
 見れば顔色をなくしたような土方が、震える指先で資料を机の上へと置いていた。
「ひじ、かた……」
「これ以上ここにいても、坂本さんや陸奥さんに迷惑だろ。……帰るぞ」
 でも、と言いかけ、銀時は言葉を飲み込んだ。
 先程手のひらで包んだ土方の指先が、所在なげに銀時の指を絡ませ、行き場を求めるように弱々しくその手を握る。
 震えの残るその手が、銀時の手を引き、同時に土方がソファを立ち上がった。
「ご迷惑をお掛けして、申し訳ありません」
「いんや、気にせんとってくれ。それから……暫くは、地球の他にも斑を発症しちょる星がないか、探してみるき」
 ひょっとしたら、抗体の研究が進んでいる星が近隣にあるかもしれないから、と。
 確約はできなくとも努力はすると申し出てくれる坂本に、土方は頷く。
「はい、ありがとうございます。でも……」
「なぁに、わしらの生業は元々星と星を行き来することじゃき、ついでの用事じゃ。気に病むことはないぜよ。」
「……ありがとう、ございます」
 なるべく土方の負担にはならぬようにと軽い口調で言ってくれる坂本の脳天気な口調に、この時ばかりは感謝をして。
 銀時は、わずかに震える土方の指先をぎゅっと握りしめ、坂本を見つめた。
「世話んなったな」
「なんか分かったら、また連絡するき」
「おう。頼む」
 行くか、と銀時は土方を促し、土方もそれに頷き踵を返す。
 それに頷く土方の手を引いて、銀時は扉へと向かった。
 ホテルの廊下でも、帰り道でも、お互い言葉をかわす事はほとんどなく。
 不意に、今日の件を松本に連絡しなければと思った。
 件の資料はさすがに持ち出す事は出来ないが、それでも主治医である松本には報告は必要だろう。
 他に何かするべきことはと考え、関係者には話を一通り通したほうがいいだろうかと考える。
 帰ったらまずはその件について土方と話し合いをして。
 それから、――それから。
 それから、どうすればいいのだろう。
 銀時は握ったままの土方の腕をゆっくりと引きながら、途方に暮れる。
 ひらけるはずの扉の先が、行き止まりだったことが知れた落胆は、その期待の分あまりにも反動が大きすぎた。
 だが、自分がこんな調子では土方を支えられない。
「あのさ、土方……!」
 まずは自分がしっかりしなくてどうするのだと無理矢理にでもなにか喋ろうと口を開く銀時に、
「飲み、行かねぇか?」
 だが、意外にも更にそれにかぶせるように土方が声を発する。
 土方が声をかけてきた事にまず驚き、更にその内容に銀時は言葉を詰まらせた。
「は、……飲みって」
「何驚いた顔してんだ。せっかくおめぇといるってのに、最近ご無沙汰だろ」
「いや、だって、お前……」
 酒がご無沙汰の理由など、今更言うまでもない。
 どんな変調を起こしているかも分からない土方の身体に、アルコールを入れることを銀時が戸惑ったせいだ。
 そしてその危惧は勿論、土方とて理解していたはずで。
「……そんな顔すんな。別にやけ酒ってんじゃねぇよ」
「……でも」
 土方の顔を見れば、それが本当に治らぬ体にやけを起こしたわけではない事はわかる。
 だがその目の中にどこか諦めの様な色があることも否定はできずに、銀時は戸惑った。
 このまま今いる道を真っ直ぐいけば、万事屋への帰路につく。
 だが、今いる辻を右に曲がれば、飲み屋や連れ込み宿が連なる夜の街へはすぐそこだ。
 手を繋いだその腕とは逆の手で、土方は片袖を抜いた銀時の着流しをそっと掴み、甘えるように袖を引く。
「……なあ、いいだろ、万事屋。酒のんで、美味いもん食って、バカ見てぇに笑って、そんで……そんで、さ」
「土方……」
「てめぇが欲しいんだ。……もう、いいだろ?」
 我慢できねぇ、と人通りが殆ど無いとはいえ往来で土方は声を潜めて告げる。
「アルコールで今更どうかなるもんでもねぇ、粘膜接触で感染もしねぇ」
「ちょ、お、おい……!」
「だったらもう、我慢する必要もねぇだろ」
 心配は総て杞憂だったとわかっただろうと言いたげな土方の言動に、諦めと、怯えが混じっている事は明白で。
 だが、それを窘める事は、今の銀時には出来ない。
 なぜならそんな土方の心情を、誰よりも察して余りあるのは己なのだから。
「万事屋……」
 迷子の子供が親の手を求めるように、土方が銀時の袖へと縋る。
 そのまま僅かな間があり、やおら、銀時はゆっくりと息を吐いた。
 諦め、ではない。
 これは土方の精神状態を保つためには必要なことなのだという、妥協だ。
 酒を飲ますことも、キスやセックスで体液を交換する行為も、決してこんな状態の土方に強いて良い行為ではない。
 だがそれが、土方の心を守るために必要ならば、折り合いをつけることも必要なのだと、銀時は妥協した。
「じゃ、久しぶりにいっちょいくか」
 演技臭くならないよう、笑みは絶やさずに。
 くいっと親指と人差指でお猪口を飲み干すような仕草をすれば、不安げだった土方の顔がほっとしたように緩んだ。
「おう、置いてもらってる礼だ。俺が奢ってやる。好きなだけ飲め」
「やだ、土方君ふとっぱらー! え、それはホテル代も?」
「そっちは割り勘だ」
「なんで!?」
 お前の金銭感覚の妥協点はどこにあるのかと文句を言いつつ、銀時は土方に手を引かれるまま、辻を曲がる。
 そして、この事件以来一度も足を運んでいなかった行きつけの赤ちょうちんへと、土方と並び暖簾をくぐった。










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