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一 ゆっくりと浮上する意識に従って目を開けると、真っ白な天井がその視界に映り込んだ。 屯所ではない、どこか近代的な作りの風景に、ここはどこだとまだ朦朧とする頭で考えて。 「トシ……、トシ! 目が覚めたのか!」 その答えが出るよりも早く、視界いっぱいに見知った顔が広がり思わず狼狽した。 見慣れすぎたその強面が、今は心配げな色を湛え揺れている。 「こんど、……さん?」 「なんでェ、起きちまったんですかい。そのまま永眠してくれれば手間が省けたのに」 空気読みなせェと相変わらずの軽口が聞こえ顔の向きをずらせば、今度は沖田の顔が少しだけぼやけたように揺れる。 徐々にクリアになる視界に辺りを見回せば、部屋の中にいたのはベッドに寄り添う近藤と沖田、山崎と、隊士が一人いることが確認できた。 「大丈夫ですか、副長」 「……あぁ……」 「まったく、あんまり心配かけんで下さいよ」 「あぁ、すまねぇ」 掛けられる声におざなりにならない程度に返事をしながらも、ここは一体と土方はぼやける瞳を眇める。 手を数度握り、身体に痺れや麻痺がないかを確かめた後、土方はゆっくりと頭を上げた。 「お、おいトシ! まだ寝てた方が……」 慌てる近藤に大丈夫だと返し、土方は自然な動作で手を貸してくれた山崎の腕に助けられながらベッドの上に身体を起こした。 真っ白で無機質な天井や壁と、鼻を擽る消毒液の臭い。 意識が途切れる直前のことを思えば、恐らく倒れた己の身体が何らかの方法で病院に運ばれた事だろう事は察しが付いた。 窓から見える河川敷から察するに、ここは大江戸病院だろう。 「……どのくらい、眠ってた」 身体の不調を確かめながら問いかける土方の言葉に応えたのは、山崎だった。 「数時間程度です。副長が倒れたのが昼過ぎ、今は同日の夕方四時前です」 「そうか……」 山崎の言葉に、土方は己の身体の不調へと意識を移す。 倒れる直前に感じた鋭い痛みは、今は嘘のように消えている。 目眩のような倦怠感もなく、視界も思考も、至ってクリアだ。 「疲れが溜まってたんだと思います。さっきの検査でも、特に異常は見られませんでしたし」 そのクリアな思考に流れ込む山崎の言葉に、だがそれが近藤や沖田に聞かせる為のフェイクであることが分かる。 己が倒れた時の状況を目の当たりにした山崎にしてみれば、あの意識の失い方が単なる疲労ではないことぐらい分かっているはずだ。 だが、後に続いた『異常は見られなかった』という言葉に、表面上土方の身体は健康体だという結果が出ていることもわかる。 「……そういや、最近ちっと睡眠不足が続いてたかな」 山崎のフェイクに載った振りをして、土方はまだ疲れが残っているかのように軽く頭を押さえた。 あながち演技でもない土方の仕草に、山崎が溜息を吐く 「最近って言うか、いつもでしょう副長」 「うるせぇな。……ったく、こうしてる間にも書類は堪ってくんだよ」 早く屯所に戻らねばという姿勢を見せる土方に、案の定近藤が慌てたような声を出した。 「待てってトシ! 良い機会なんだ。今日一日位は休んでいけ」 検査入院で有給扱いにしておくという近藤に、土方は渋い顔を作る。 「別に、休むなら屯所でも……」 「だーめ! 屯所に戻ったら、お前仕事しちゃうだろ!」 「まぁ、最もですねィ。まぁ、過労死してくれんならこっちは好都合ですが」 「黙れ総悟」 相変わらずの悪態に悪態を返し、だが的確な近藤の言葉にやおら諦めたように土方は溜息を吐く。 「……わかった。今は休むよ近藤さん」 そうして、休むことを了承する土方の言葉に、近藤は安心したように息を吐き出した。 「よしよし、ゆっくり休んでいけよ。じゃあ、俺は仕事に戻る」 「あぁ、……悪ぃな。迷惑掛ける」 「気にするな。たまにはゆっくり休め」 そうして、まるで子供のように己の頭を撫でるように叩く近藤の所作に、思わず演技ではなく照れくさい笑みが洩れた。 この人は時折こうして、未だ己のことを子供のような扱いをする。 だが、それが嫌みに感じられない当たりが近藤の器だと感じた。 「……あぁ」 土方が頷けば、後頭部を撫でる手は外れた。 「よし、じゃあ仕事に戻るか」 「あ、俺は副長に報告がありますので、残ります」 そうして、誰ともなく病室を後にしようとした面々の中で、山崎だけがそう言ってその場に留まる。 近藤はそれにさしたる疑問も抱かずに、わかったとあっさり頷いた。 「じゃあ山崎、トシを頼むぞ」 「はい」 「そのまま永眠しろ土方」 「てめーがしろ、総悟」 近藤と山崎が穏やかに遣り取りをする後ろで、不穏な受け答えが交差する。 「じゃあ副長。明後日の見廻りまでには、復帰して下さいね」 その遣り取りに笑いながらこちらへと言葉を投げる隊士の言葉に、土方はあぁ、と頷いた。 「わかった。明日には復帰する」 「お願いしますよ」 じゃあ、自分はこれでとドアへと向かう隊士に続き、近藤、沖田がその後に続く。 そうして山崎と二人取り残された病室で、二人はお互いドアの外の気配を追った。 去っていく足音が徐々に遠ざかり、そして全くその音が聞こえなくなったのを確認して、漸く息を吐き出す。 そうして、山崎は直ぐさまベッドに駆け寄り心配げに目を細めた。 「……身体は?」 「心配すんな。至って健康体だ」 多分検査通りだと返す土方の言葉に、山崎は一瞬安堵の息を吐き、だがすぐに顔を引き締めた。 「検査の結果は、完全に異常なしで、強いて言えば平熱が少し高めとのことでしたが、体調不良と称するような物ではないとのことです。少なくとも、……あんな痛みを誘発するような不調は、どこにも見当たりませんでした」 淡々とした声で結果を述べる山崎に、じゃああの痛みは一体と思うが、考えたところで答えが出るとは思えない。 だが、それよりもまず、土方は山崎に伝えなければいけないことがあった。 それは先程からずっと感じていたが、あえて黙っていた違和感で。 「なぁ、山崎。さっきまでここに、スキンヘッドの奴がいただろ。………知り合い、だよな」 恐らく、きっと、山崎を驚かせ余計に混乱させてしまうだろうと、そう思ったが言わずにいるわけにはいかないだろうと。 案の定、山崎は土方の言葉に酷く狼狽したように息を飲んだ。 「……副長、アンタまさか、原田のこと……」 「原田、というのか、アイツは……」 やはり、と土方は顔を俯かせた。 親しげな様子でこちらへと話を振ってきた大柄な男の名前を、土方は思い出すことが出来なかった。 むしろ倒れる前の己の状況を認識していなければ、うっかり『誰だ、そいつ』と聞きかねない程、記憶にその姿はない。 だが、あの場でそれを告げればきっと酷く状況を混乱させただろう。 今は、事情を知る山崎に事の確認をするのが先だと、土方はあの場ではそれに触れない事を選んだ。 何より、隊士が来ていた制服が山崎の着ている一般隊士のそれではなく、隊長格以上が身につけるものであることに気付いたからこそ、顔見知りでない可能性など、皆無だった。 「原田は、副長や局長の、武州での昔馴染みです」 「武州の……?」 「はい。……でも、さっき名簿を見た副長は、原田にはなんの付箋も貼っていません。あの宴会の写真にも写ってましたが、全員わかると言ってました」 つまり、倒れる前まで土方の記憶に原田の存在はきちんとあったと言うことだ。 そして状況を見れば、先程の頭痛と目眩がきっかけに原田の記憶が抜け落ちたのだろうと言うことは想像が付く。 「……親しかった、よな」 江戸で公募を掛け、入隊したのではない原田という隊士。 山崎の口調を聞けば、記憶をなくす前の己と少なからず、縁があっただろう事は想像が付く。 「はい。十番隊の隊長を務めていて、副長も信頼を置いていました」 「プライベートでは?」 「……正直、かなり仲が良かったと思います。一緒に映画を見に行ったりもしてましたし」 そんなに思い出が多い人間を、あの一瞬でころりと忘れてしまったらしい自分の身体が恐ろしくなり、知らず背筋に悪寒が走った。 恐らくその悪寒は顔色にも現れていたのだろう。 山崎が目を伏せながらこちらに問いを投げる。 「……副長、最近さっきと似たような目眩とか頭痛とか、なかったですか?」 意図が理解できる問いに、土方は暫し黙考した。 恐らく自分達の予想が正しければ、今忘れている出来事を忘れた際にも、似たような頭痛に見舞われた可能性がある。 流石に倒れるのは今回が初めてだが、そういえば先々月頃から、覚えのない頭痛に悩まされた時期があったことを思い出した。 土方は仕事中に痛みを覚えたその時の出来事を、山崎に話して聞かせる。 「……当時は、ただの寝不足だと思ってたんだが」 「目眩とかは?」 「なくはなかったが、寝て起きたら収まってたからな」 気にも留めなかったと首を振る土方に、山崎は溜息を吐いた。 その溜息の理由に、土方は目を伏せる。 大方日頃の不摂生が原因で状況の発見が遅れたと思っているのだろう。 その通りである以上、反論など出来ないが。 少しだけ苛つきが募る心中に無意識に袖を探ろうとして、ここが病院であることを思い出し手を戻した。 小さく舌打ちをする土方に、山崎が控えめに声を発する。 「これは俺の勝手な推測ですが、痛みが酷いほど、忘れる記憶の量、というか、そういうのが増える気がするんですが」 「つまり、思い出の多い原田との出来事をいっぺんに忘れた事が、あの痛みを引き起こした?」 「あくまで、仮説ですが。……それから」 「なんだ」 僅かに言い淀む、山崎が言いたい事は予想が付く。 だが、あえて土方はその先を促した。 誰かに言って貰わねば、その事実を受け入れがたい気がして。 「……まだ、続くんじゃないでしょうか」 「……あぁ」 やはり予想通りだったその言葉に、深い息が零れた。 それは、今の状況を考えれば当然の結論だろうと思う。 頭痛は先々月から数回有り、記憶はほぼそれと同じ数失われている。 そして、今日の失神でまた一つ、記憶の砂が零れ落ちた。 これで終わりなはずがないと考えるのが普通だ。 むしろ、この先もっと酷くなるのではという疑惑さえ芽生える。 今この瞬間頭痛が起こり、山崎を忘れてしまう可能性もゼロではない。 まして沖田や近藤を忘れてしまえば、もう副長の任にいることすら難しくなるだろう。 そしていつかは、銀時も。 考えただけで、それは絶望が波になり押し寄せるような感覚だった。 何より怖いのは、原因に一切心当たりがないことだ。 体調はほぼ万全と言って良い。 今に至っては、目眩も頭痛も悪い夢だったとしか思えない位だ。 だからこそ、今日まで己はその頭痛も軽いめまいも、さして気に止めることもなくいたのだから。 平時は忘れてしまうほどの痛みが不規則に続いた程度で病院にかかるような性格ではないことは、己が一番良く知っている。 なにより、そうなる原因の心当たりがありすぎる以上、今日は早く寝ようかと少し気を使う程度にしか身体を労らないのは致し方ないことだと、土方は考えていた。 それで翌日にはけろりと治っているのだから、尚更だ。 だが、こうなっては。 「……副長」 静かな山崎の声に、顔を上げる。 その顔は、痛ましげに何かを耐えるようなものだった。 「なんだ」 「如何致しますか」 その問いはつまり、自分の不調を公にするかと土方に問う物だ。 できれば、内々に収めておきたい。 だが、それは先の見通しや己の不調が治る見込みのある場合にのみ許される黙秘だろう。 先の見えないこんな状況で、そんな勝手なことは、できるはずもなく。 「………お前は、どう見る」 苦し紛れに問いかける土方に、山崎は暫し口を閉ざし、だがはっきりと告げた。 「局長に、全てをお話しするのが最善かと思いますが」 滅多にないその硬質的な敬語に、息が詰まるような錯覚を覚え。 「……近藤さんを呼んでくれ」 「はい」 まるで、視界に闇が落とされたような心地だった。 * * * それから半刻後、山崎の呼び出しに応じ再度病院に訪れた近藤と、何かを察したのか無理矢理付いてきた沖田に、山崎と土方は事のあらましを説明した。 とは言っても、原因も解決法も分からない状態では、総てを打ち明けた所でたいした情報量はない。 だがその数少ない情報だけでも、土方の身に起きている事の深刻さは十分に二人にも伝わったようだった。 そして、何よりも近藤と沖田の胸を抉ったのは、土方がミツバの死を忘れてしまっているという事実で。 「……じゃあ、アンタは姉上が死んだことも、……姉上の最後も、……何も覚えてないって事ですかい」 ミツバの死を忘れた土方に、行き場のない怒りを感じる沖田にも、土方にはただ、謝ることしかできない。 「すまねぇ……」 「でも、姉上の事は覚えてるんですよねィ」 どこか縋るようなその声に、土方はゆっくりと首を縦に振った。 「あぁ、……だが、最後に顔を見た記憶は武州で別れた時のもんだ。それ以降、アイツの姿を見た記憶はない」 つまりもし、それ以降にミツバが江戸を訪れていたとしても、その記憶は残っていないことになる。 「……ほんとに、そうなっちまった心当たりは何もないんですかい?」 何度目か分からない、土方自身も何度も己に問いかけているその問い。 だが何度考えても普通に仕事をこなしていた日常しか思い出せずに。 「あぁ……」 ただ肯定の返事をする土方を、責めたところでどうしようもないことは沖田も分かっているだろう。 何かを言おうとして、だがそれを耐えるように口を閉ざすその姿に、土方の自責の念は増した。 そして、更にその気持ちに追い打ちを掛けるように、近藤が緩く息を吐き出す。 「しかし原田もとなると……、この状態じゃあトシを屯所に戻すのは、危険かもしれんな」 「……あぁ」 次いで告げられた近藤の言葉に、土方は否定したい気持ちを抑えつつ頷いた。 何故なら、近藤の思考は最もなのだ。 いつ、どこでどの隊士を忘れるとも分からない。 いつ、仕事の詳細を忘れるとも知れない。 こんな身体で副長の任など、負えるはずがない。 「もう一度、今度は精密検査をお願いしましょう」 徹底的に調べるべきですと進言する山崎を、近藤は肯定した。 「あぁ、そうだな。……だが、この状態のトシを、病院に一人残すのは……」 「……そう、ですよね……」 今は山崎が側に付いているが、山崎とて四六時中土方の側に付きっきりでいるわけにはいかない。 それは近藤は勿論沖田にも言えることで、だがこの事実を必要以上に組内に漏らすことも避けたい。 どうすればと、唸る近藤等に。 「……旦那に頼むってのは、どうですかィ?」 声を発したのは、沖田だった。 「そうか、万事屋か」 「そうですね、旦那なら」 その言葉に近藤と山崎は名案だと納得し。 「ちょ、ちょっと待て! なんであいつに……!」 だが土方一人が酷く狼狽した様子を見せた。 そんな土方に、計六つの瞳が同時に向けられ、土方は一瞬怯む。 ため息混じりにまず口を開いたのは沖田で。 「何が不満なんでィ。どうせ隠し通せやしやせん。いずればれるなら一緒でさァ」 旦那なら喜んで世話を買って出てくれやすぜと、平然と言い放つ沖田に、だが土方は首を横に振りそれを否定した。 「冗談じゃねぇ! これは俺個人の問題だ。それを、あいつに」 「副長個人の問題だからこそ、困ってるなら頼ったらいいじゃないですか」 「簡単に言うな……! 第一、俺はいつアイツを……、わ、忘れ、ちまうか……!」 口に出せば、それは急に現実味を帯び己の体を襲う。 ぞくりと背筋に走った悪寒に顔を青くする土方に、近藤はそっとベッドに手を付き土方の頭に手をやった。 「だったら、いや、だからこそ、そうなる前に甘えておけばいいじゃねぇか」 忘れちまう前に、と存外重いことを言い始める近藤に、土方は慌てる。 だが、それに対しどう二の句を告げていいかも解らずに、唇を噛んだ。 銀時と土方が思いを通わせ始めたのは二年ほど前の事で、先に気持ちを自覚したのは土方の方だった。 その事実も、二人の関係も、知っている人間はほんの僅かだ。 今ここでその話題がまるで世間話のように沖田の口から発せられ、更にそれに対して誰も疑問を抱かないのは、今この場に集まっている面子が奇跡的にその事実を知る数少ない人間を網羅しているからに他ならない。 銀時との関係を近藤や沖田に公表することに抵抗がなかったわけではないが、必要なことだと考えたからこそ、土方は自分からその事実を告げた。 真選組に操を捧げる覚悟でいると公言していた己の変化に、たとえ詰られたとしても文句は言えない。 それでも、どうか許して欲しいと頭を下げる土方に、だが驚きこそしたものの近藤が土方を攻めるような事はなかった。 何より土方を救ったのは、姉のミツバを袖にされた沖田がその事実を受け入れてくれた事で。 『こそこそ隠し通す気なら、怒ったかもしれやせん』 沖田はそう土方に告げ、そしてこう続けた。 『俺ァ、旦那が好きなんでさァ。アンタには勿体無い御人だ』 大事にしなせェよと。 それだけ告げてさっさと局長室を出てしまった沖田の「好き」に、妙な意味合いが含まれていないことはわかっている。 本当に、ただ純粋に、沖田が銀時を慕っているのを土方はよく知っていた。 「まぁ、その前に原因がわかれば解決するんだ。まずは、精密検査だな」 「じゃあ、俺は病院側に言って手続きをしてきます。この時間ならまだ、松本先生もいらっしゃるはずですから」 「あぁ、そうしてくれ」 先程も土方の治療にあたってくれたらしい松本は真選組の主治医を務める名医で、普段はこの大江戸病院に詰めていることが多い。 その松本が見てくれるのならば情報漏えいの心配もないだろうと、土方はほっと胸をなでおろした。 正直、自分が倒れたというだけでも何を書き立てられるかわからない立場なのだ。 秘密裏に事を進められれば、それに越したことはない。 「わかりました。それから、ついでに万事屋の旦那にも、ここに来てもらいますから」 いいですね、副長、とほぼ断定のような口調で言われてしまえば、今更反論する理由も見つからずに。 「……あぁ」 土方は湧き上がる憤りを無理矢理押し込めながら、小さく肯定の意を示した。 土方の了承を聞けば、山崎は小さく頷いてそのまま踵を返し病室を出ていく。 思わず漏れたため息が存外重く、土方は目を伏せ俯いた。 銀時に、迷惑をかけることは勿論本意ではない。 だが、会いたいか、会いたくないかと聞かれれば、どうしようもなく会いたかった。 今この瞬間、また倒れ銀時を忘れてしまうかも知れない。 ならばその前に、もう一目だけでもとまるで少女漫画のような事を考えてしまう己の思考に笑いが漏れる。 だが女々しいとわかっていても、放っておけば頭はすぐに悪い方へ悪い方へと考えを走らせてしまうのだ。 一体、己の身に何が起きているのか。 せめてそれだけでもわかれば少しは安心することができるのに。 「とりあえず、万事屋が来るまでは俺もいるから。そうだな、少し眠れ、トシ」 「……あぁ」 気を使ってくれているのか、布団をかけてくれる近藤に土方は己でもめずらしいと思いながらも素直に身を任せた。 ただ、起きていればまた、妙な方向に考えが暴走してしまいそうなのだ。 そんな土方を一瞥し、沖田は踵を返した。 「じゃあ、俺は仕事に戻りまさァ。あ、安心してくだせェ、土方さん亡き後も、副長代理は俺がきっちりと努めやすから」 「誰が亡き後だてめっ、総悟!」 ひらりと手を振り、 病室から出ていくその姿に、思わず舌打ちをする。 こんな時まで小憎たらしいと思いつつも、それが沖田なのだと、土方は己を無理矢理納得させる。 改めて布団にもぐれば、その上から近藤が掛け布団をぽんぽんと叩いた。 そうして、ベッドの脇におかれた椅子に腰掛ければ、近藤は小さく息をつく。 「しかし、アレだな。皮肉なもんだ」 「あ?」 「お前がこんなに素直に休んでくれるなんて滅多に無いってのに、状況がこれじゃな」 素直に喜べねぇな、と苦笑いをするその姿に、土方はため息を付いた。 そもそも近藤が給金を食いつぶすような勢いでスマイルに特攻するさながら聖地巡礼のようなストーカー行為をもう少し控えてくれれば、多少なりとも余裕が出るというものだ。 だが、今この状態でそれを口にできるほど、土方の神経は太くない。 今己はそれと比べ物にならないほどの迷惑を、真選組にかけているのだ。 「でも、これで少し懲りたろ。身体が治ったら、せめて週一で非番をとれ」 そうすれば、体調不良も少しは気にする余裕が出るだろうという近藤に、土方はゆっくりと目を瞑った。 原因不明で治る目処すらないのに、治ったらとあっさり口にできる、このおおらかさに惹かれているのだと、そう思った。 どんな最悪な状況下でも、ひょっとしたら大丈夫なのではと、無意識に人を安心させることができる人なのだ、この人は。 「……考えとく」 「応」 そうして、近藤の気配を感じながらゆっくりと意識が微睡みに攫われそうになった、その時。 病院に似つかわしくない、酷く乱雑な音が耳に入った。 廊下の向こうから響くそのけたたましい足音は、まっすぐこちらに向かってくる。 その気配にまさかと、土方がベッドから身体を起こしかけるのとほぼ同時に。 「土方ぁああ!!!」 およそ病院内で患者を見舞う態度ではない荒っぽさで、土方のいる特別病室のドアが乱暴に開かれた。 そして案の定、その声と足音の主は山崎の呼んだ土方の想い人のもので。 「………万事屋……てめ、……ッ」 だが、その乱暴な所作に一言物申してやろうと、身体を起こす土方に、銀時の荒々しい気配は急速になりを潜めた。 そうして、銀時はベッドに起き上がりかけた土方を見て、僅かに目を見開き。 「……生きてる」 そして呟かれた言葉に、土方は思わず眉を寄せる。 「はぁ?」 まさか自分が死んだとでも思ったのかと思案するのとほぼ同時に、慌てたような駆け足で病室のドアから山崎が顔を出した。 「……だから、言ったじゃないですか。命に関わるようなことじゃない、って」 「でも、おめぇ電話で意識不明って……」 「だから! その後の経過を喋る前に旦那が電話切っちゃったんでしょ! 俺はさっきも今も説明しようとしましたよ!」 俺のせいにせんで下さい!と目の前で繰り広げられるやり取りに、なるほどそういうことかと土方は納得した。 「万事屋」 改めて、その名を呼べば、銀時の瞳が山崎から土方の方へと向けられる。 すこしだけ早足で土方の座るベッド脇へと近づいた銀時は、ゆっくりと伸ばした手で土方の頬を撫でた。 「平気、なのか?」 酷く心配気な声でそう問いかけてくる銀時に、だが、土方は肯定の返事を返そうとして、戸惑う。 平気ではないからこそ、銀時はこの場に呼ばれたのだ。 こんな爆弾のようなものを抱えた身体を、引き取らせるために。 不意に、目の裏にこみ上げてくる熱いものを必死で絶えるように唇を引き締める土方に、銀時が驚いたように僅かに瞠目する。 「土方? おい、……どうした」 勘の鋭い男だから、恐らくただならぬ理由があって己がここに呼ばれたことへの察しは既についただろう。 だが、その理由までは流石に察せられないだろう銀時が少しだけ合わせたように腰を屈めたのとほぼ同時に、数度のノックの後病室のドアが開いた。 「土方君、準備が出来たよ」 「あ、……松本先生」 真っ白な白衣を身に纏った初老の医師の言葉に、土方は溢れ出しそうになる熱を抑え小さく頷いた。 「起きられるかい?」 「はい、今行きます」 「え、何? 土方君?」 どこか仰々しい医師の迎えに、状況の一人読めない銀時が慌てたような声を出す。 するりと銀時の腕から抜け出ようとする土方の腕を心配げに掴む銀時に、それまで状況を黙って静観していた近藤が、口を開いた。 「万事屋、事情は俺から話す。トシは、検査に行って来い」 「……あぁ」 「え、何? 検査って……なんともないんじゃねぇの?」 まるで縋るような瞳が痛く、だがここで安易に大丈夫だと言う訳にはいかない。 土方は軽く唇を噛み、覚悟を決めてからゆっくりと顔を上げた。 「……悪い。後で俺からも話すから、今は近藤さんに聞いてくれ。小一時間で戻る」 「ほんとに? すぐ戻って来んだよな」 「当たり前ぇだろ。別にどっかいくわけじゃねぇよ。院内検査だし、終わったら戻っから」 心配すんな、と土方が銀時の頬を撫でれば、漸く、手首を掴んでいた手は外れた。 「わかった。待ってる」 「応」 まだ瞳には僅かばかり心配気な色が残っているが、それでも拳を握り見送ってくれる銀時にせめてもの笑みを向け、土方は松本に連れられて病室を出た。 「山崎くんから事情は聞いている。少し長丁場になるが、頑張ってくれ」 体力的に辛くなったら、すぐに言うんだよと。 土方の体調を考慮してくれる松本に、土方は頷いた。 「はい。でも、平気です。その……俺自身は本当に、健康体ですから」 「……そうか。じゃあ、まずは基礎的な身体チェックから、順にやっていこう」 「はい」 再度首を縦に振り、土方は渡された病院服に着替えた。 どこが悪いのかわからない以上、様々な検査をしたほうがいいだろうと検査方法は多岐にわたり、土方はその総てをまるでベルトコンベアにでも載せられた気分で淡々とこなしていく。 そうして、すべての検査が終わる頃には三時間弱が立っており、既に日はとっぷりと落ちていた。 随分遅くなってしまったと思いながら、だが病院内を走るわけにはいかず早足で病室に戻ると、そこには銀時と近藤、それに山崎が土方の帰りを待っていてくれた。 「土方!」 ドアを開ければすぐに心配気な瞳でとんでくる銀時が、不安げな色を湛えたまま土方を見る。 その色に、あぁ、事情を総て聞いたのだろうと悟った。 「遅くなって、悪い。……聞いたのか?」 念のため問いかければ、銀時は目を伏せ頷いた。 「あぁ。……今は、痛みとかはねぇんだよな……?」 「あぁ、ねぇよ。……その、……暫く、世話ンなるけど」 「気にすんなって。いくらでもいたらいい」 お前の身体が治るまでさ、と己の両頬を包んでそう告げる銀時に、普段であればその身体を突き放す位はするのだが、今日はそういう気分にもなれずに。 その優しげな顔に、不意に忘れていた胸の痛みが、深く心中を抉り出す。 「万事屋、じゃあ依頼料とかは本当に……」 「だから、いらねぇよ別に」 いらないのか、とそう言いかけた近藤の言葉に、だが銀時はその言葉にきっぱりと首を振った。 そのやり取りから、恐らく土方が万事屋で寝泊まりする事を『真選組の依頼』と考えるか否かを話していたようで。 銀時は涙腺が緩みそうになる衝動を必死で耐える土方の顔を近藤から隠すように、その上半身を己の方へと引き寄せた。 「恋人が泊まりに来るだけだろ。報酬なんざ、必要ねぇよ」 マヨ代くらい、こいつに出させるしと笑う銀時に、それが少しでも土方の罪悪感を削ぐためだと気付けば、余計に泣きたい気持ちが増した。 どこまで、優しいのだろう、この男は。 「……そうか。じゃあ、荷物は後で、山崎にでも届けさせる」 「あぁ。お泊りのおやつは三百円までね」 「そうかぁ……そうなるとマヨが二本しか買えんな」 どうする、トシと笑うよな口調で問いかけてくる近藤に、土方はくすりと喉の奥で笑った。 本当に、まったく、どいつもこいつも。 「マヨは、おやつに入らねぇよ」 だから何本持って行こうが自由だと、言外に告げる土方の言葉に、銀時が慌てた声を出す。 「おいおい土方君。俺の家の冷蔵庫マヨまみれにすんのだけはやめてね」 「諦めて下さい旦那。屯所の冷蔵庫は実質一つマヨ蔵庫みたいなもんです」 「オイまじか。どんだけだよ武装警察」 「まぁ、頑張れ。……じゃあ、俺達は行く。トシ、なるべく早く、帰ってこいよ」 ふと、真面目な声でそう告げる近藤と、次いで山崎もそれに頷く。 「そうですよ。ほんと、沖田副長の真選組とかちょっと考えただけで組が崩壊しそうですからね」 「あぁ、……わかった」 銀時の脇腹から除くその光景で、土方は二人の姿を見送った。 そうして、二人の姿が気配か完全に病室から消え、病室には土方と銀時の二人だけが残された。 銀時は隠すように抱いていた土方の顔を覗き込み、その涙の膜が張ったような瞳の脇を、ゆっくりと撫でる。 その指先は酷く優しく、顔を上げれば銀時の緋色の瞳に、己の姿が写り込んでいて。 「……検査結果、いつだって?」 「一週間から十日……確定次第、連絡が来る」 「そっか」 となるとまだ原因不明のままか、と呟き、銀時は指先でなぞった瞳の縁へと、唇を触れさせた。 「初見とかは?」 すぐに結果が出る検査もあるだろうと問う銀時に、土方は声を震わせた。 「……異常、なしだ」 「そうか」 「……首、捻ってたのが見えた……。心配してた痴呆とかとは、関係ねぇって。原因箇所に異常はねぇし、でも……病気か何かも、わかんねぇって……」 これで一週間後、またどこにも異常は有りませんでしたと、そう言われるのではないかと思うと、怖くて堪らない。 だが、ただの勘だが、なんとなくそう言われてしまう可能性が何よりも高い、気がして。 ぞくりと、考えただけで身体から血の気が引いていく。 銀時は青ざめた土方の頬を温めるように、その頬を両手で包み熱を移した。 そのまま唇が肌に息を触れさせながら頬を辿り、額にたどり着く。 「うん、怖いよな」 そうして、銀時の優しい手のひらが、土方の頭をゆっくりと撫で、土方の身体を抱きしめてくれる。 その腕が、大丈夫だと。 ずっと傍にいるからと、そう言ってくれているような気がして。 「……万事屋」 額を銀時の肩口に擦りつけるように身を寄せながら、土方は今にも溢れ出しそうなその涙を必死に押し耐えた。 |