銀さんを好きすぎる土方さんのお話。 2




 人間本能というものを侮ってはいけないと実感した。
 あの血で血を洗う戦場に放り込まれた有り難くもない経験のおかげか、頭で考えるより早く咄嗟に後ろに下がったことで致命傷は避けられた。
 いや、いてーけど。
 いてーもんはいてーけどさ。
「………お前さ、ホントに銀さんのこと好き?」
「わ、悪い……!」
 血痰を吐くかと思うような痛みに腹を押さえる俺に、謝る土方の声は慌てたもので。
 そうか無意識か、どんなDVだと俺は軽く咳き込んで口元を拭う。
 だが、同時に納得もした。
 確かに、猫のようにこちらに擦り寄って、甘えるような仕草は突っ込みたいと思ってる奴がするような行動じゃない、気がする。
 いや、ホモの事情なんてしらねーけど、なんとなく。
 俺はもう一度ケホ、と軽く咳をして、深く息を吐き出した。
「悪ぃ、万事屋……だ、大丈夫か?」
 腹を撫でる俺の仕草によっぽど重傷だと思ったのか前方に手をついた姿勢でこちらへの様子を伺う土方に、俺はひらひらと手を振る。
「いてーけど、まぁ、……っつかなんで蹴ったの。照れ隠しか。照れ隠しですかコノヤロー」
「うっ……」
 あ、また赤くなった。
 一瞬また蹴りが飛ぶのではと身構えたが、今度は流石に理性が働いたらしい。
 俺が大げさに吐いた溜息に僅かに肩を揺らし、土方は俯く。
「わ、悪かった……」
 ぼそりと呟く言葉に覇気はない。
 これは、落ち込んでいるのだろうか。
 飼い主に叱られた犬の残像が見える土方の様子に、俺は頭を掻き溜息混じりに手を伸ばす。
 そしてそのままぐりぐりと頭を撫でた。
「んな殊勝にあやまんな。おめーが俺を蹴り飛ばすなんざ日常茶飯事だっただろ」
「いや、そうだけど……あ、あんときと今とじゃ……」
 心持ちが違う、と呟き落とす土方に、俺は不覚にも頭を撫でる手を止め声に詰まった。
 なんだ、こいつ。
 かわい……
(可愛いぃいいいい?)
 刹那、頭に浮かんだ通常の己では有り得ない思考に俺は思わず仰け反る。
 いや、『可愛い』という思考自体はさっきも確かにあったけど。
 あの時はなんというか、子犬とか子猫とかそういう無条件で愛らしい生き物を撫でくりしたくなる一種の庇護欲に近い感情であって。
 だが今俺が土方に感じた『可愛い』は、抱きしめてそのままおでことかほっぺとか唇にチューしたい、みたいな……
「チューってなんだあああ!」
「うおぁ!」
 予備動作もなく土方にしてみれば意味不明な怒鳴り声を上げた俺に、土方が喉の奥から変な声を出してびくっと震える。
 何事かと目を丸くする土方に、俺は咄嗟に両手を大げさに振り言い募った。
「いや! 違うからね! 銀さんそういうんじゃないから!!」
 一体何に対して弁解しているのか自分でもよく理解できず、俺に理解できてないってことは、多分こいつはもっと訳わかんないだろう。
「あ、……あぁ、わかった」
 だが、それにも関わらず深く追求せずに流してくれる土方は、ホントにいいやつだと思う。
 しかし弁解も終わってしまえばその場に残ったのは不自然な沈黙で。
 更にこの気まずさを作ったのは恐らく俺の過剰反応なんだろうなって思うと余計にいたたまれない。
 どーすんのさ、これ。
 気まずさ全開で、あー、とか、うー、とか、困ったように唸っている俺の姿に。
「……あのさ、あんまり気にすんなよ」
 やっぱり、助け舟を出してくれたのは土方だった。
「でも……」
「困らせてぇわけじゃねぇし、その……お前を、ホモにしたいとかでもねぇんだ。あー、……これは信じてもらえねぇかもだけど」
 付き合ってって迫っといてって感じだよなと煙草を噛んで笑うその仕草に、胸の奥が僅かにきゅっとなった。
 だが、ここで上に流されて適当な返事をしちゃいけないことくらいは、俺でもわかる。
 一瞬が、この先の長い長い時間の俺達を決めちまうんだ。
 いい加減なその場限りの感情で答えを出すのは、絶対に危険だと警鐘が聞こえる。
「……少し、考えてもいいか?」
 迷って迷って、結局俺が口から出せたのはこんな時の常套句のような台詞だったが、土方は驚いたように僅かに目を見張った。
「……か、考えて、くれるのか?」
「あ、いや、……うん。まぁ、その……」
 言ってから、ひょっとしてこれは答えを間違えただろうかと俺は自分の選択を一瞬だけ後悔した。
 それはそうだろう。
 考えるってことは、少なくとも土方と恋人同士になる事を、考える余地があるってことだ。
 余地もなければ、ここできっぱりと断ったほうがいいし、そのほうが土方だって気が楽だろう。
 答える気もないのに『考えさせてほしい』とか言って、最終的に断るなら、そっちのほうが残酷だ。
 今なら間に合う。
 今ならまだ、ぎりぎり、さっきの言葉を撤回しても許されるラインだ。
 若干アウトに片足突っ込んでるけど。
 早くしなければ、土方の目には僅かに期待の色が滲み始めているのが明確になってしまう。
 そうなる前に、なんとか。
 だが。
「……それか、お試し期間、みたいな……」
 何を言ってるんだ俺は。
 心のなかで冷静な自分が思い切りツッコミを入れているのが聞こえたが、まるで心と身体が分離しているかのように俺のよく回る口は言うことを聞いてくれない。
 案の定、土方の期待の目の色は先程よりもっと明確になってしまっている。
 何やってんの俺。ちょ、おい俺、これ以上喋んじゃねぇ唇縫い合わせるぞ!
「お試しって……」
「ほら、その、……男同士ってどんなもんか、俺全然知らねぇし、……だから、百聞は一見にしかずっつーか……いや、さすがに寝るのとかは無理だけどね。こう、それなしで、試しに付き合ってみたらどーかなー、みてーな……」
 誰か針と糸持ってきてー!唇縫っても目立たなそうな色合いの持ってきてー!と頭の中で叫ぶ声を聞きながらも、あぁ、これはもう手遅れだと俺はいろんなものを諦めかけていた。
 ここまで言っておいて、全部冗談でしたはさすがにできない。
 しかも、俺の提案を聞いた土方が驚いたように目を見開いた後、その強面には些か不釣り合いな、だが嬉しくてたまらないといった笑みを必死で隠すように表情ににじませたのだ。
 可愛い、と。
 今度こそごまかしようもなく俺の中にそんな感想が芽生える。
 認めたくはない。
 認めたくはないが、これはあれだろう。
 ほだされたのだ、この恐可愛い生き物に。
 そして同時に、この甘ったるい雰囲気に割と流されている。
 土方とキスなどという思考が生まれた時点で、流れに飲まれているも同然だ。
 だが、それはひょっとして、俺がこいつを好きってことなのではと一瞬自分の中にその可能性を問いかけたが。
 俺はすぐそれを打ち消す羽目になった。
 なぜか。答えは簡単だ。
 こいつと寝られるかと考えて、……正直、勃つ自信がない。
 俺が今土方に感じている可愛いには、そういうどろどろした性欲めいたものは感じられないのだ。
 キスとセックスとは、マリアナ海溝より深くエベレストより高いずれが存在する。
 こいつと同衾するには、俺がこいつの裸を見て股間をスパーキングさせなければならない。
 無理だろう。
 想像したところで、それはちょっと笑えるくらいに不可能めいていた。
 例えば、だ。
 もしここで、土方がもうお前のことは諦めるからキスをしてくれと言ってきたとする。
 答えはイエスだ。
 それくらいで気がすむのならばいくらでもしてやろう。
 だが、もしももうお前のことは諦めるから、最後に抱いてくれと言われたら。
 ノーだ。
 それ以外の答えは今思いつけない。
 だが、突き放すことができないのは、そういうところとは違う部分で、俺が土方を手放したくないからだ。
 土方のことが好きだった。
 本当に気の良い友人だと思っていたし、喧嘩も飲み比べもいつも馬鹿みたいに本気でやった。
 俺は知り合いは多いけど、同世代の友人というのは意外といない。
 年が近いという意味ではズラや辰馬はその分類だが、ズラはお尋ね者だし、辰馬はそもそも普段地球にいない。
 それこそ攘夷戦争時代なら高杉と似たような関係だったこともあるが、今となっては総て思い出だ。
 だからこそ、そういった意味でも土方は俺にとっては稀有な人種になる。
 街でばったりあったりとかして、お互いの家に遊びに行きあったりして。
 フツーに話して、フツーに喧嘩して、フツーに飲んで、フツーに笑って。
 そんな、気の置けない飲み友達という意味では土方は俺の中ではかなり貴重な人間だ。
 これからだってできればずっと、傍にいたい。
 そこまで思考を追った所で、俺は唐突に気づいた。
 さっきの己の意思に逆らったような言動。
 それも全部、土方を手元においておきたい故の口八丁に他ならないのではないか、と。
 なぜなら、あれは土方にとっては酷く残酷で、俺が体よく楽をするための選択肢だ。
 だってそうだろう。
 ここで土方の思いを突っぱねた後、また元通りに肩を抱き合って騒げるような友達に戻れるだろうか。
 恐らく、というか、絶対に無理だ。
 土方が俺に思いを告げてしまった時点で、俺達の関係性は『友達』から『恋人』もしくは『振った人と振られた人』のどちらかに変化することを余儀なくされた。
 さっき土方が所在無く震えていたのだって、これで失敗すれば俺を失うかもしれない恐怖に怯えていたせいなのだ。
 理解していなかったのは、混乱していたとはいえ俺だけで。
 土方はこの告白の重さを俺なんかより何十倍も重く捉えている。
 そして俺は、そのどちらの選択肢を選ぶこともできず、あまつさえ関係性をさほど変えずにこのまま土方を失わずに済む方法を無意識の内に考え出した。
 結果が、先の通りの『お試し期間』だ。
 キスより先はない、だが友達以上でもある微妙な関係。
 土方にとってはそれでも十分かもしれないが、これはそんなお優しい選択肢ではない。
 そもそも俺が土方と恋人になるという選択肢を拒否している以上、キスより先になど進めるはずがないのだ。
 にも関わらず、断らずこんな中途半端な関係を提案している。
 しかも、土方が断る事などないと見越した上で。
 キスをしてみたいという欲求は、言い換えれば土方との関係はキスまでなら可能だということだ。
 それ自体、かなり稀有なことだとは思っているが、こうなってしまえば逆に都合がいい。
 俺は己とのキスを餌に、土方を手放すまいとしている。
 最低だろう。
 言ってしまえば、ただの飼い殺しだ。
 そんなことはわかっている。
 わかっているが。
「………いいのか?」
 期待に胸を膨らませ、僅かに声を震わせる土方を、突き放せるほど俺は道徳精神とかに忠実ではない。
 どちらかといえば己の欲とか、そういうどろどろしたもんにこそ、執着する傾向にある。
「お試しな」
 土方の言葉に返事をする己の声には、ちょっと自分でもびっくりするくらいの甘さが混じっていて。
 甘いモノなら年中無休大歓迎なはずが、まるで胸焼けのような気持ち悪さを覚えた。
 だがそんな俺の声に、土方はまるで生娘みたいに顔を赤くして目をそらす。
「む、無理だと思ったら、別にいつでもクーリングオフって言ってくれりゃ……、その……ッ!」
 咄嗟に、その指から煙草を奪い取って土方の腕を引いた俺は、倒れこんできた土方の顔を己の胸に押し付けた。
 これ以上、俺の言葉に翻弄される土方の純粋な瞳を、見続けていることが辛かったから。
 本当にどこまで自分勝手なのだろう。
 こんなことをすればまた、土方が必要以上に期待し喜んでしまうことなどわかっている、のに。
 戯れに、奪い取った煙草を口に咥え、ゆっくりとふかす。
 吐き出した紫煙からは、いつも土方から香る苦味の強い香がした。
 恐る恐るという擬音がぴったりとあうようなぎこちなさで、土方の指先が俺の白い着物を少しだけ摘んだ。
 腕の中の身体は少しだけ強ばっていて、だがそれが恐怖からではなく羞恥からきているものなのだということもわかっている。
「……よ、ろず……や……」
 胸に僅かに息が辺り、漏らされた声はくぐもったソレで。
 そしてその声が知らず期待してる事も、俺にはわかっていた。
「舌ならいれねーぞ」
「あ、あたりめぇっ……」
 俺の言葉に焦ったような反応を返す、その唇を唇で塞ぐ。
 触れ合った土方の唇は緊張からか乾いていて。
 幸いというべきか、案の定触れるだけのキスにはなんの嫌悪感も湧いてはこなかった。
 むしろ、このままずっと触れ合っていたいとすら思えるもので。
 少しだけ長めに唇を押し付け、ゆっくりと離す。
 は、とわずかに唇に触れた土方の吐息は、まるでセックスの後のような熱を含んでいる。
「万事屋……」
 どこか夢心地な土方の声色に、俺は湧き上がる罪悪感を張り付いたような笑顔で塗りつぶした。


*     *     *


 一体どうして、こんなことになったのか。
 唐突とも言える告白をしてきた土方と、その関係性を微妙に変化させてから今日でニ週間。
 驚くほど、なにも変化のない日常がそこにあった。
 変化がない、というと少し語弊があるかもしれない。
 土方との『お試し期間』は言うまでもなく健在だし、俺自身一応あいつの恋人(仮)である、という自覚はある。
 だが、そもそも俺と土方はそう頻繁に合っているわけではない。
 向こうの都合によりけりだが、毎日のように顔を合わせるときもあれば、丸々一ヶ月顔も見ないともある。
 それは土方の都合と言うよりも攘夷志士の奴らが真選組のやっかいになるような事をするかどうかにかかっているという感じで。
 更に間が悪い事に例の告白騒動の三日後、新手の攘夷集団が幕臣の家に爆弾を仕掛けるとかなんとかそんな内容のテロ文書を声明した。
 あぁ、これは暫く会えないんじゃねぇかなという予想は大当たりで、声明のあった日の夜に土方から万事屋に電話があった。
 暫く会えない、ごめん。
 今までテロなんて起きればソレが当たり前で、いちいち連絡なんぞよこしたことがない土方の所業に俺は驚いたが、あぁ、これが『恋人である』って事なんだろうとすぐに納得した。
 ならばと俺も普段はかけないような優しい言葉をニ、三土方にかけてやった訳だが。
(……気をつけろとか、無茶して怪我すんじゃねぇぞとか、別にそんな特別な言葉でもねぇだろうに……)
 俺の言葉を聞いた土方は酷く慌てたように声をひっくり返して、それでも何とか肯定の返事をするとすぐに電話を切った。
 お前どんだけ俺が好きなの、と俺は呆れ半分だったが、正直悪い気はしていない。
 そして声明から三日後、結局テロは真選組の手腕で決行前に未然に防がれた。
 勿論、情報源は総てニュースだ。
 その端々には生中継とか称して現場に行ってるカメラに映り込む土方の姿も確認できた。
 変わりないその様子に、未然に防げたという言葉通りどうやら怪我はないらしいことをに安心して。
 そして今日は、テロの事後処理から解放されたらしい土方と飲みに行く約束をしている。
 つまり、あの告白後ふたりきりであうのは今日が初めてだ。
 更に言えば、今までの日常に変化がなかったのはそもそも俺と土方の接触そのものがなかったからであり、もし変化が起こるとすればスタートラインは今日ということになる。
 二週間前の選択に、後悔はしていない。
 ああでもしなければ、俺と土方の仲はよくて自然消滅、悪ければ非常に後味の悪いものになっていただろう。
 だからといってこんな真似が許されるのかとも思うが、そこはこの際目を瞑る。
 土方が俺を好きなように、俺も土方が好きなのだ。
 その意味合いとベクトルは、全く違う方を向いているが。
 願わくは、この付き合いを通して土方の方向性をアイツを傷つけることなく俺と同じ方向に引っ張れないだろうかと、頭の隅ではそんなことも考えている。
 ……まぁ、期待はしていない。
 そんな簡単に方向性が変わるような思いならば、そもそもあいつは俺にそれを告げたりはしないだろうから。
 大体、『お試し期間』という言葉は、その商品を正式に購入する前に試しに使ってみる事を指している。
 俺がその状況を体よく利用しているだけの話で、土方にして見ればこれは仮契約みたいなもんだろう。
 期待するなというのは無理だ。
 俺の心情からすると酷な話だが。
 傷つけたいわけではない。
 ただ、普通に友人として、もっとずっと傍に居たかっただけなのだ。
 それだけのはずだったのに。
 つらつらと思考を遊ばせながら足を動かしていると、身体はいつの間にか待ち合わせ場所へとたどり着いていた。
 いつもの飲み屋より少しだけ落ち着いた雰囲気のその店は、三日前に新装開店した和食居酒屋だった。
 この店を指定してきたのは土方で、なんでも隊士の知り合いが経営しているらしく開店したら是非来てくれと言われていたらしい。
 土方はもう中にいるのだろうか。
 予約をしてあると言っていたから、店の人間に聞けばそれくらいわかるだろうと思いながら引き戸に手をかけた俺は、不意に聞こえた聞きなれた足音と気配にその手を止めた。
 振り向けば、小走りの主は案の定、己の待ち人で。
「――よぉ」
 いつものように、軽く手を上げ声をかけた。
 俺を見て走ってきたのだろうか。
 土方は店のそばで歩調を緩め、同じように手を軽く上げた。
「よぉ、わりぃ。待ったか?」
「いや、入ろうか迷ってたとこだ」
「そうか」
 扉の前を陣取っていた俺は、土方が俺の側につくのを待って引き戸を開けた。
 いらっしゃいませーという軽快な声が聞こえ、一人の店員が御用聞きに向かってくるのが見える。
 店はそこそこ繁盛しているようで、見渡す席に空席は見当たらなかった。
「いらっしゃいませ。ご予約はございますか?」
 俺の方へと声をかけてくる店員に、予約は入れてあるけど俺の名前じゃないしなと俺は背後を振り返る。
 空気を察し、土方が前に出た。
「あぁ。土方だ」
「……! これは、土方様。いつも主人がお世話になっております」
 俺の脇から顔を出し名を告げた土方に、店員が驚いたように慌てて頭を下げた。
 どうやら、俺が思っていたより店と真選組との繋がりは濃いらしい。
「久しぶりだな、女将。店の評判は上々らしいな」
「ありがとうございます。あ、お席はこちらです、どうぞこちらへ」
「応」
 女将の促しに従う土方に、俺もついて歩く。
 案内されたのは個室の座敷席で、奥まった場所に配置された小奇麗な部屋だった。
「すぐにお通し、お持ちします」
 俺と土方を部屋に残し、女将は襖を閉めて座敷を去っていく。
 俺は新装開店というだけあって綺麗な室内を見回しながら、品書きを手にとっている土方に目線を向けた。
「キレーなとこだな」
「だろ?」
 綺麗といっても、気後れしそうな高級感はなくまるで素朴な内装は居心地がいい。
 早速タバコを咥え酒を選んでいる土方の様子に、俺は心中でほっと息をついた。
 先日の様子からもっとガチガチに緊張しているかと思ったが、さすがにそこまで初心ではなかったようだ。
「お前、何飲む?」
 もう一つの品書きを手に取り、俺は酒の種類を指で追いながら土方に話しかける。
「そうだな……、とりあえずビールかな」
「じゃあ、俺も」
 日本酒に舌鼓をうつのは、別に後でもできるだろう。
 今はとりあえず一刻も早く酒が欲しい。
「お待たせしました」
 そうこうしているうちに襖が開き、お通しが席に届く。
 土方はビールを二つと、とりあえず適当な飯物を頼んで女将を下がらせた。
 ビールはすぐに席まで届き、俺は土方と軽くグラスを合わせる。
「仕事は落ち着いたのか?」
 ひとまず喉を潤し、俺は土方にそう切り出した。
 土方は煙草を吹かし、ビールを半分ほど一気に飲み干す。
 喉が乾いていたのだろうか。
「あぁ。まぁ、あんなの小競り合いにみたいなもんだ。日常茶飯事だしな」
「でも、テロなんだろ? 声明文でたじゃん」
「ホントのテロってのは、起こした後に次を予告する声明をすんだよ。始めっから予告してくんのは総じて小物だ。顕示欲が強いだけでろくな手駒もいねぇ奴らだよ」
 なるほど。
 確かに言われてみればその通りだ。
 俺は運ばれてきた皿の中から柔らかく煮えた大根を端で摘んで口に放り込む。
「さすが、副長さんは有能ですねー」
 少しだけ茶化すように、だが半分は本気でそう言った俺に、土方は少しだけ驚いたような顔をして、僅かに頬を赤くした。
 あれ? もう酔った? それとも照れてんの。
「あ、……いや、別に……こんくらい、予想出来てあたりめぇだし」
 そう言いながら、土方はまだ長い煙草を灰皿に押し付け、すぐさま二本目を取り出し唇に挟んだ。
 だが、ライターを手に取るもののその指は震えていて、なかなか火を灯すことができないでいる。
 焦っているのか、手つきはいつもより危なっかしく、そのせいか余計に火がつかない。
 これは、ひょっとしてひょっとしなくても、あれだろうか。
 そこまで初心じゃないと思ったけど、そこまで初心だったんだろうか。
「……おめー、……まさか、緊張してる?」
 ポロリと、土方口から火の付いていない煙草が転がり落ちる。
 次いで、まるで二週間前の巻き戻しのように顔を赤らめる土方に、俺はなんとなくの事情を悟った。
 なるほど、それで個室か。
 土方は己が今日俺といて、どんな事になるのか八割方予想していたのだろう。
 こんな状態でカウンターに座っていてはろくに話ができないし、少なくともテーブル席であれば机の存在によって一定以上の距離はできる。
 個室であれば周りの目も気にせずに済み一石二鳥というところだろう。
「……お前……俺の事好きだよなぁ……」
「真顔で言うな!」
 別に自惚れとか恥ずかしがらせたいとかではなく、純粋なる感想なんだが。
 傍から見ればこれって自画自賛になるんだろうか。
「別に、からかってる訳じゃねぇよ」
 それは本当だった。
 少なくとも、それを指摘して土方を挙動不審にしたいとか、そういうことはさして考えていない。
 ただ、本音が零れてしまっただけだ。
 土方にしてみればどっちにしろ性質が悪いと思うけれど。
 土方は俺の言葉に俯いて、だが暫く待てば少しだけ顔を上げた。
「……まだ、なんか、……夢みたいでふわふわしてんだよ」
 ぼそぼそと、個室でもなければ絶対に聞き取れないであろう声で、土方が呟くように言った。
 夢みたい、というのは、お試しであろうと俺と付き合えているこの状況のことだろうか。
 確かに、あの時は玉砕覚悟と言うより玉砕することが前提の上で告白した、とでもいうような喜ぶっぷりだったが。
「だから、もしこれで途中でお前がクーリングオフしたくなっても、俺はもういいんだ」
 そう言って笑う土方に、俺はなんというか、なんというかな違和感を感じた。
 口では上手く説明できないもやのようなそれは、胸の中に僅かに渦巻いて沈殿する。
 上手く言えないが、理由はわかっている。
 諦めて欲しいくせに、土方と離れることを嫌がっている自分。
 矛盾を解消するために、今俺は都合よく土方の好意を利用している。
 それを改めて突き付けられた気分だったのだ。
 だって、もし俺がここで『やっぱ無理。別れよう』って言っても、こいつは笑って『分かった。ありがとうな』とかお礼をいうんだ。
 絶対に、ショックな癖にそれをおくびも見せずに。
 でも、俺がそれを指摘することなんてできない。
 そこまで無神経じゃない。
 こんな俺本位の茶番に付きあわせているのだから、大事にしなければきっとバチが当たる。
 そう、大事にだ。
 俺は、土方を大事にしたい。
 その純粋な恋心を現在進行形で踏みにじりながら大事にしたいなんて、身勝手極まりないが、今の俺にはそうするしかできない。
 改めて自分がいま土方に行なっている最低な行為を認識した所で、頼んでいた最後の料理と熱燗が運ばれた。
 空になったビールのグラスと交換でそれらを受け取り店員を下がらせると、土方が熱燗を手に取りこちらへと僅かに傾けた。
「ほら、持てよ」
 注いでやっから、と機嫌よく嬉しそうに口角を上げる土方に、俺は心中で謝りながらお猪口を差し出した。
 土方の手ずから、お猪口に酒が注がれる。
 八分目まで入った所で、俺は自分のそれを飲む前にその手から熱燗を奪い取った。
 驚く土方に、こんなの恋人同士になる前からやっていただろうと密かにため息を付く。
 そんなに、嬉しそうにしないでほしい。
 今俺はお前を騙して、この状況を楽しんでいるのだから。
 溢れそうになるまで土方のお猪口へと酒を注ぎ、二人ほぼ同時にぐっと煽る。
 すっきりとした辛みが喉を通りぬけ、貧乏舌にも値の張る酒であることは十分に分かった。
 ちらりと正面の土方に目線を映すと、決しておおっぴらにではないがその顔には隠し切れない笑みが滲んでいて。
 喉が焼けるような感覚が酒なのか、それとも罪悪感からくるものなのか。
「……ほら! もっと飲めよ!」
 俺はそれをごまかすように熱燗を掲げ、空になった土方のお猪口に強引に酒を注いだ。
るような感覚が酒なのか、それとも罪悪感からくるものなのか。 「……ほら! もっと飲めよ!」  俺はそれをごまかすように熱燗を掲げ、空になった土方のお猪口に強引に酒を注いだ。


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