銀さんを好きすぎる土方さんのお話。 3




 がらがらと軽い音を立てて引き戸を潜れば、背後からありがとうございましたーという営業トークが響く。
 土方との恋人としての一度目の逢瀬は、表面上はさして滞り無く、いつも通りに進んだ。
 何かがうずを巻いている俺の心中は、この際置いておこう。
 今はとにかく、俺の我侭に付き合わせている土方が幸せそうに笑っていることこそが大切だ。
 飲みの間に交わされた会話に、付き合う前と後でさしたる違いは見えなかった。
 まぁ、お試し期間で体の関係もないのだから当たり前なのだが、こんな形ばかりの付き合いで本当に土方は満足なのだろうかと思う。
 勿論、不満だからといって寝るつもりはないが。
 口約束の恋人という言葉に舞い上がって、付き合い自体は告白前も後も目立った相違はない。
 その口約束が何よりも重要なのは理解しているが、俺はなんとなく、何かしたほうがいいような妙な義務感に襲われていた。
「どうする? もう一軒行くか?」
 質のいい酒を煽ったせいか、俺も土方も今日はさして悪酔いしていない。
 涼しさを増した夜の冷気が丁度良く感じられる程のほろ酔い加減だ。
 このまま屋台にでも雪崩込んで飲み直し、というプランを思いついた俺に、だが同じくほろ酔いの土方は首を振った。
「いや、俺ぁ明日昼から通常勤務だからな。今日は大人しく帰ぇるよ」
 口調はしっかりしているものの、やはり頬はどこか赤みを増している。
「……送ってやろうか?」
 さして、深い意味を持って言った言葉ではなかった。
 ただ俺の中で恋人=デートのあとは家まで送ってあげる、という図式がなんとなくあってそれに従ったまでだ。
 だが、俺の言葉がよっぽど予想外だったのか、土方は歩いていた草履を止め驚いたようにこちらを振り返る。
 袖を抜き懐に収め、酒にほろ酔って歩く姿は決して可愛らしいものではない。
 どちらかと言えば正しく飲み帰りの酔っぱらいといって差し支えないだろう。
 そんな姿で顔を赤くしたら普通はもうちょっと何かしら違和感を感じてもいいようなきがするのだが、不思議なほどに嫌悪感はない。
 やはり顔だろうか。
 美形というのはこういう時つくづく得だ。
 多少見目の悪いことやおかしいことをやっても、美形というだけで大抵許されてしまう。
 そして、俺もそんな許してしまう人種の一人なのだと思うと限りなく情けなかった。
 別に美形が好きなわけではないが、どういうわけか土方に関しては俺は驚くほど許容範囲が緩い。
 まぁ、でなければお試しでも恋人になどなれないのだが。
 とか何とか思考を巡らせている間、土方は顔を真赤にしたまま硬直している。
 俺はため息を付いた。
「送って……」
「いや、いい! 一人で帰れる!」
 二度目の言葉は最後まで告げる前に跳ね返された。
 極端なやつだ。
「遠慮すんな」
「してねぇ! っつーか遠回りだろ!」
「んなこたわかってるっつーの」
 今俺と土方がいるのは万事屋と屯所の丁度真ん中あたり。
 といっても全く真反対というわけではなく、例えるなら二等辺三角形の一番鋭利な角に立っているような位置関係が近い。
 後の二つの角が屯所と万事屋だ。
 屯所に寄ったからといって差して問題はない。
 たしかに遠回りだが、送るといった時点でそんな苦労は織り込み済みだ。
 だが土方は頑なに首を振る。
「女じゃねぇんだ。刀も持ってるし、心配いらねぇよ」
「でも酔ってんだろうが」
「そりゃてめーもだろ。とにかく、一人で平気だから」
 喋ってる間に酔いも覚めてきた、とか何とか言いながら手をひらりと振って踵を返す土方に、俺はどうしようかと頭を掻いた。
 さっき動揺していた所を見ると、今のこいつの所作はどう考えても照れ隠しだろう。
 本当は送って欲しいくせに、などと土方が聞いたら憤死し、自分でも自意識過剰極まりない思考に侵されながら、俺は踵を返した土方の背中を小走りで追った。
 さほど距離があったわけではない、すぐに追いついたその背中に手を伸ばし、肩に触れた。
 おおげさに、土方の肢体が揺れる。
「送るって」
 もう一度、肩を掴んだまま少しだけ語調を強めると、土方は困ったような顔をしながらもそれ以上拒否することはしなかった。
「……か、勝手にしろよ……」
 顔を背けながらも、その声にこちらを突き放すような語感は見えず小さく息をつく。
 少しだけ小走りで土方に隣に並び、俺は少しだけ思考を巡らせてから土方に声をかけた。
「イヤか?」
「え?」
 土方がこちらをむく。
 俺は真正面を向いたまま、だが土方に問いかけているということはわかる口調で、もう一度問うた。
「俺がこういうことするの、イヤか?」
 言葉を足せば、土方も俺の意図に気付いたのだろう。
 元々こういったことには敏い奴だ。
 俺が今土方に行なっている恋人らしい行動は、土方にとって嬉しいものなのか、それとも逆なのか。
 お試し期間とはいえ、いや、だからこそ、余り突っ走った真似はしないほうがいいのではと夜風に吹かれ少しだけ冷静になった頭でそんなことを思う。
 俺はこうすればきっと土方は喜ぶんじゃないかと思いながら今日の約束で行動しているが、それが正解である保証はない。
 総ては土方しか知りえない。
 草履で道を踏む音と、ブーツが道を踏む音が妙な音階を作って暗い夜道に響く。
 そのまま黙って土方の言葉を待っていると、不意に、右側から声が返った。
「……や、じゃねぇ、けど……」
「うん?」
「てめぇに、無理させたくねぇ」
 気を使わせたくないのだと、そう告げる土方に、俺は軽く息をついた。
 気を使っていないといえば嘘になるが、俺は自分がしたくないこと、やりたくないことは基本的にはしない。
 だからこそ、もし土方が嫌でないのならば、俺にとってはそれでいいのだ。
「俺は無理はしてねぇ。嬉しいなら、素直に受け取っとけや」
 嫌なことがあれば、きちんと拒否すると言葉を足せば、先程よりいくらか土方の肩の力が抜けたような気がした。
 あんなことを言い出した手前俺が引っ込みがつかなくなっていると思ったのだろうか。
 まぁ、自分を追い込んでしまったとは思っているが、もし本当に無理なら土下座でも何でもして撤回すればいい。
 その際殴られるくらいは我慢しよう。
 明らかに俺の自業自得だ。
「……あぁ」
 夜道にふわりと、土方の吐き出した紫煙が漂う。
 こんな夜中だ。
 酔っぱらいの蔓延る夜道で歩きタバコの一つや二つ、きっと見逃してもらえるだろう。
 暫し無言のまま夜道を歩いていると、屯所の前に向かうための最後の曲がり角が見えてきた。
 その手前で、土方は歩を止める。
「ここでいい。悪かったな」
「……あぁ」
 俺としては屯所の前まで行っても良かったのだが、それではこいつが逆に気を使うだろう。
 なにより屯所の前には二十四時間交代制で誰かしら隊士が見張りを行なっているのだ。
 副長として、男に送られるシーンなど、おいそれと見せたいものではないだろう。
「じゃあな」
 ひらりと着流しの裾を翻し、まるで友人と飲んだ別れ際のように何の未練もなく踵を返す土方に。
 その腕を掴んで引き止めてしまったのは、本当に無意識のことだった。
 進行方向とは逆向きに力が掛けられ、土方は驚いたように身体をよろめかせながらこちらを振り返る。
 その瞳が驚いたような色を湛えているのを目に映しながら、俺は土方の口元から煙草を奪い取った。
「よろ、…ッ」
 俺を呼ぼうと言葉を発しかけたその唇を、緩く塞ぐ。
 大げさに肩を揺らし体をこわばらせる土方の身体をそれ以上拘束はせずに、俺はすぐに唇を離した。
 こちらを見つめる土方の顔が、夜目にもわかるほど真っ赤になって。
「おやすみ」
 腕を握ったまま笑ってそう告げる俺に。
「お、おぅ……」
 返された言葉は僅かに震えていた。
 それが、動揺からくるものなのか、それとも少しでも喜んでくれたのか。
 その判断はつかなかったけれど。
 俺はそのどちらかを明確にすることはせずに、その口元に煙草を返した。
 そうして掴んでいた土方の腕を離し、踵を返す。
 背後に痛いほどの視線を感じながら歩き、十メートルほど行った所でふと何かに気付いたように振り返れば、目があった土方は慌てて身体の向きを変えた。
 そしてそのまま、ふらふらとどこか危なっかしい足取りで屯所の方へと向かっていく。
 多少足元はおぼつかないようだが、酒も入っているし隊士達には酔っぱらいとして説明がつくだろう。
 多分、俺は土方に酷く残酷なことをしている。
 お試し期間などという茶番付きあわせ、恋人になどなれない癖に土方の身体を己の手元に無理矢理置いている。
 確かにキスはしているが、本当にそれだけだ。
 今日だって、出会ってからここまで恋人らしい振る舞いといえば屯所近くまで送り、帰りがけにキスをしたくらいだ。
 そもそも屯所に送ることにしたって、足元がおぼつかなくなった土方をここまで担いできたことだってある。
 俺の中では、特別なことではない。
 そうなれば唯一の違いはキスだろうが、それだってさして重大な問題には思えないのだ。
 この感覚が世間一般とずれているかどうかなど、俺は知らない。
 勿論、土方以外の男としろと言われたら真っ平御免被るが、女とならば気持ちなどなくともいくらでもできる。
 所詮キス。
 考えてみれば、俺にとってはその程度の認識だ。
 吉原の遊女達のように、唇に操立てをし云々などというお綺麗な道徳精神も、持ち合わせていない。
「……お試し期間、か……」
 一体何を試しているのだろうかと、俺は思わず喉奥で笑った。
 本当に、本気で、試すつもりならば、いっそ寝てみるのが最も手っ取り早いだろう。
 むしろそれをしてみなければ始まらないとも言える。
 その決定的な部分をさらりと避けた時点で、俺に本気がないことくらい気づいてもよさそうなものなのに。
 それをあんな風に喜んで、舞い上がって、赤くなって、動揺して。
 可哀想だと思う。
 可哀想で、可哀想で、――可愛い。
「………あー、最低だわ、俺」
 自嘲気味に呟いた所で、そんなものはただの陶酔だ。
 むしろそんな風に土方を翻弄できている自分にすら歓喜を覚えているのだから、もう救いようがない。
 だが今は、何よりも真選組を思い、近藤のために全てを捧げてきたあの男が、己の言動一つで一喜一憂している事実が堪らないのだ。
 思った以上に土方に執着している自分に驚きつつ、俺はほろ酔い気分で万事屋への帰り道を歩き出した。








 土方の非番に合わせ、待ち合わせて酒を飲む。
 昼から時間が取れる時があれば、映画に行ったり、万事屋でのんびりと過ごしたり。
 くだらないことで喧嘩して、殴り合いになったりもして。
 時折そういう雰囲気になれば、俺の方からキスをする。
 場所は大抵、誰にも見られる心配がない万事屋か、深夜に近い帰り道に物陰で。
 初めは緊張して俺が顔を寄せるたびにガチガチに緊張していた土方も、回を増すごとに慣れ始めたらしく、雰囲気を察すれば自分からねだるように目を閉じたり、自ら唇を寄せてくるようになった。
 世間から隔離されたような秘密めいたやり取りを楽しんでいるのは、俺も、そして土方も一緒だったように思う。
 そんな、友達ではないが恋人としては純情過ぎるようなやり取りを繰り返す内に、あっというまに三ヶ月が経過しようとしていた。
 しかし、というか勿論、その間それ以上の関係には一切発展を見せていない。
 未だ舌すら、触れ合ったこともない。
 そもそもお試し期間というか、一体いつまで試してていいんだろうかと。
 俺は、当時引き伸ばし作戦のためにわざと期間提示を行わなかった事に土方がいつ不信を感じ始めるかと、内心少しだけ心配していた。
 昨今就職先の仮契約や研修期間も三ヶ月が標準だ。
 仕事を辞める時だって三ヶ月前には事業主に言いましょうとか言われているし、なんにせよ『三ヶ月』というのはある意味一つの節目なのだろう。
 そして、次の日曜が俺と土方の関係が変わり始めてから丁度三ヶ月なのだ。
 ここをノーチェックでスルーできるかどうかが、なんとなく今後の俺達の身のふりを変える……ような気がするのだ。
 あくまで予想だが。
 そして今は、その日曜日の前週にあたる火曜日の夜。
「……へぇ、じゃあ真選組の奴らって、武州出身が多いのか」
 既に馴染みになってしまった例の和食居酒屋で、今日も今日とて俺は土方と二人で熱燗を傾けいる。
 土方の伝で高確率で個室を確保できることもあって、俺達はすっかりこの店の常連になっていた。
 今日の話の肴は、上京当時の真選組や土方の事。
 沖田君や近藤といつ頃からの付き合いなのかと問いかけた俺に、土方はざっと十年くらいは前だろうなと答えた。
「あぁ。もともと俺は、……っつーか、俺達は近藤さんに拾われた身だ。能もねぇ、学もねぇ、出来る事といや剣振り回す事だけだった俺達を自分の道場に置いてくれて、俺達に生きる居場所を与えてくれたのは、あの人だ」
「……へぇ……」
 なるほど、そりゃ大事にもするわなと俺はなんとなく真選組連中の近藤に対する忠誠の誓い方に納得した。
 俺にとっちゃストーカーゴリラでも、こいつにとっちゃ命の恩人みたいな位置づけらしい。
 こいつらにはこいつらなりの、ゴリラの理想像みたいなもんがあるんだろう。
「その剣も廃刀令で奪われちまって、それでも近藤さんは俺らを見捨てなかった。まぁ、それでも真選組結成当時は右も左もわかんねぇしで随分苦労したぜ」
 そういって昔を懐かしむようにため息混じりに紫煙を吐き出す土方の苦労話に興味をひかれる。
「ふーん、例えば?」
 問いかける俺に、土方は紫煙を吐き出しながら考えこむように視線を上向けた。
「そうだな、……今となっちゃ笑い話だが。まず制服の着方がわかんなかったとかか?」
「ぶっ、……え、マジで?」
「マジだ」
 思わず吹き出したが、同時に納得もした。
 確かに、未だ人間の着衣の主流は当然のように和装だ。
 洋装といえば天人の衣服であり、街で洋装の人間を見ればそれは自動的にお偉方、という印象が付きまとう。
 武州から出たての本人曰く芋侍達に、手順の面倒な洋服の着方などわかるわけがないだろう。
 だが、笑ってはいけないと思いつつも頬が緩むのは抑えられずに。
「え、何。それ結局どうしたの」
 わずかに笑いが混じったような俺の問いかけにも、土方はさして気にした風もなくお猪口を傾けた。
「制服をもらってきたのは近藤さんだったんだが、聞いてもわからねぇっていうし。暫く試行錯誤したんんだがどうにもならなくてな。結局、俺がとっつぁんに聞きに行った」
「とっつぁん?」
「あぁ、悪ぃ。松平警察庁長官の事だ。真選組の直属上司になるんだよ、あの人」
 あぁ、なるほどとその名前を聞いて納得する。
 松平の名前は、一般市民である俺達の間にも、ある程度の知名度があったからだ。
「それで、俺がその場で教えてもらって着て帰って。で、もう一回脱いで、一から全員に教えた。まぁ、一般隊士の制服は俺らの奴と違って前を留めるだけだったから、まだ楽だったがな」
「あぁ……」
 言われて俺は、真選組の連中が着ていた制服を思い出す。
 確かに、真選組の制服には、ジミー君が着ていたようなシンプルな前留のものと土方が着ているジャケットのものと、二種類がある。
「俺の来てる奴は隊長格以上が着るもんなんだが、はじめのうちはスカーフを上手く結べねぇ奴が多くてな。随分苦労したぜ。特に総悟はいつまでたっても自分で覚えようともしやがらねぇで毎朝毎朝結べ土方とか抜かしやがって……ったく。こればっかりはミツバを恨んだぜ」
 さんざん甘やかして育てられたからな、あいつと悪態をつく土方に、確かにそれは一理あるが半分位はただ単に沖田君が土方に甘えたかっただけなんじゃないかって気もする。
 勿論、今そんな事を言ってみたところでありえないと一蹴されることくらいはわかっているから言わないけど。
 上京してきた折に聞きかじったミツバの話では、沖田君が土方や近藤にくっついてこっちに来たのはまだ十二、三の時らしいから、そりゃまだ寂しさが勝ってもしょうがない時期だろうと思う。
「……でも、やっぱり全員が隊服を始めて着た時は、嬉しかったな……近藤さんなんて写真取ろう飲み会だって大はしゃぎで……っと、」
 くすくすと笑いながら話していた土方が、急に何かに気付いたように言葉を切り、それをごまかすように煙草をふかした。
「すまねぇ、俺ばっか喋っちまって」
 俺の反応が鈍いように感じたのだろうか。
 言葉を切ってしまった土方に俺は少しだけ惜しい気持ちになった。
 別に反応が鈍かったのは土方の話の腰を折るのが嫌だっただけで、内容自体はもっともっと聞いていたいと思うものだったのに。
 だが、このまま自分だけ喋り続けるというの土方の性格からすれば余り得意なことではないのだろう。
 俺はそうだなと少しだけ思考を巡らせ、なぁ、と口を開いた。
「その写真、まだあるか?」
「え?」
 俺の言葉の意図がわからずに問い返す土方に、俺は言葉を足して再度問いかけた。
「写真。さっき、ゴリラが撮ろうって言ったって言ってたろ。俺、お前の昔の写真見てみてぇ」
 真選組結成当時といえば、今から約五年前ほどのことだったと記憶している。
 こいつはまだ、二十歳かそこらのはずだ。
 見知った人間の昔の顔というのは多かれ少なかれ興味が有るもので、それが土方ならば、尚更だ。
 だが、土方は俺の言葉に少しだけ戸惑ったような顔をして、口を噤んだ。
 そして、少しの間黙ってしまう。
 了承にしろ拒否にしろ、てっきりどちらか即答してくれるものと思っていた俺はその反応に少しだけ意外さを感じ。
「……わかった。探しとくよ」
 だが、結局は受け入れてくれた土方にほっと息をついた。
「あぁ。次の約束ン時の持ち物な」
「あぁ」
 今度はすぐに頷いてくれた土方に、ほっとしている自分がいることに気付く。
 次いで俺はこんなにも、土方の反応を伺うような付き合いをしていただろうかと、ふと違和感を覚えた。
「……そろそろ、時間だな」
 ほんの少し、自分の内面へと気を向けていると、ふと、少しだけ残念そうな土方の声が聞こえた。
 その言葉に土方の携帯を覗き込めば、液晶に表示された時計は夜の二十三時を指している。
「明日は日勤だっけ」
「あぁ、昼からだ」
「そっか。じゃあそろそろ帰んねぇとな」
 土方の言葉に、俺もあっさりと納得してお猪口を机においた。
 土方の帰り時間はいつも正確で、いつも就業時間の半日前には屯所に戻る。
 朝からなら前の日の夕方、昼からなら日付前、そして夜勤の日は昼過ぎ。
 勿論急な呼び出しがかかれば総ては仕事優先だ。
 女将を呼んで、席で会計を済ませる。
 因みに、一応俺名誉のために言っておくが、ここでの会計は割り勘だ。
 ……半分、いや、三分の一くらいは。
 だが、ここも結構いいお値段はする店なのだ。
 これでも俺としてはかなり努力している方なのだということをご理解いただきたい。
 だったらもっと気軽に飲めて安い居酒屋だっていくらでもあるが、土方がこの店を気に入っているらしく、会計は俺が持つからと言われてしまえば、つい甘えてしまっているのが現状で。
 俺自身、この店の味はかなり気に入っているからこそ、なんとなく悪いと思いつつ、離れがたいのだ。
「ありがとうございました。また、ご贔屓に」
「応」
 丁寧に会釈をする女将に手を振りつつ、俺と土方は揃って店を出た。
 そしてそのまま自然な足取りで屯所へと向かう。
 あの日からずっと繰り返されてきた、お決まりのコースだ。
 はーっと戯れに息を吐き出せば、目の前が一瞬真っ白に染まる。
「今日も冷えるな」
 呟く俺に、土方は息ではなく紫煙を白く吐き出しながら同意した。
「だな。……そういや、来週当たりには初雪が降るって言ってたぜ」
「げ、マジか……」
 ただでさえ寒いのに、雪まで降ってこられたらたまらないと俺は羽織の中に腕をしまい込む。
 土方から告白を受けたあの日、まだ世間は残暑から抜けだしたばかりの九月の事だった。
 それが、今は今はもう十二月も半ば。
 後一週間ほどで、世間はクリスマスだ。
 当然日に日に寒さは増していて、俺も土方も羽織の上にマフラーを巻いている。
「もうあいつらにプレゼントは買ったのか?」
 もうすっかり坂田家の事情に精通しているらしい土方の言葉に、俺は曖昧に言葉を濁した。
 正直、このために最近はちょっと頑張って金を貯めたのだが、実際クリスマスプレゼントなど何を買ったらいいのやらよくわからない。
「あのくらいの歳の女ってのは、どういうもんが喜ぶのかね……」
 下手なものを渡せばかえって機嫌を損ねそうなのだ、あの難しい娘は。
 一瞬、買えるだけ酢昆布を買ってやればいいかとも思ったが、さすがにクリスマスにそれはと思い直したのだ。
 まぁ、酢昆布なら確実に喜んでもらえることはわかっている。
 だが、これはあくまで最終手段だと自分に言い聞かせていた。
「そうだな。……キラキラしたアクセサリーでも買ってやったらどうだ?」
 ブレスレットとか、と案を提示してくれた土方に、だが俺は思わず眉を潜めた。
「アクセサリー? あいつがそういう柄かよ」
「馬鹿。アイツいつも髪に髪飾りつけてんだろ。ああいうのに興味が少なからずあるなら多分喜ぶぜ」
「へー、そういうもんかね……」
 まぁ、なんといっても土方はモテる。
 どう少なく見積もっても俺の数倍は持てるのだから、そのモテ男の言葉ならば聞いておいて損はないのではないかと思った。
 そういえば、当時も思ったがそんなモテる男がなぜ俺なんかに惚れたのか。
 こればっかりは恋人(仮)になって三ヶ月たとうというのに、未だに理解できていない。
 そして多分、この先も理解できないような気がした。
「じゃあ神楽はソレでとりあえずいいとして……問題はぱっつぁんか……」
 あっちは神楽以上に難解だなぁ、と頭を掻いていると、ふと土方の歩調が少しだけ緩む。
 思考を中断し顔を上げると、目の先にはいつも土方と別れる辻が見え始めていた。
 あそこまで行けば、今日の逢瀬はそこまでだ。
 意識的か、それとも無意識かはわからないが、歩調が緩んだ土方の行動を素直に嬉しいと思う。
 何も言わずとも、土方がもっと俺といたいのだと、そう思ってくれていることが伝わってくるのだ。
 俺は土方の腕を掴んで、いつものようにひょいっとすぐ脇にある路地にその体を連れ込む。
 はじめこそ往来の真中でキスなどしてしまったが、良く考えれば夜中とはいえ誰が通るかわからないのだ。
 こんな場所をこんな時間に通り掛かる一般市民など滅多にいないだろうが、用心するに越したことはない。
「……次の非番は?」
 土方の腰のあたりに手を回した姿勢で、いつもの問いかけをする。
「次は、……来週の、日曜で、前日は昼までだ……」
「そか。じゃあ土曜の夜に、うちくるか?」
「……あぁ」
 別も万事屋にあげるからといって何かがあるわけではない。
 強いて言うならキスの回数が若干増える位だろうか。
「じゃあ、待ってるよ」
「応。……ん……」
 了承の返事をした土方の唇を、そっと塞ぐ。
 既に慣れたように目を閉じるその唇の柔らかさを堪能し、俺はいつもの通りそのまま唇を離した。
 いつも通りならばここで土方が俺から離れ、俺も万事屋への帰り道を歩くのだが。
「……土方?」
 どういうわけか、土方はその場から動かなかった。
 珍しいこともあるものだと、腕を回したまま土方の動向を観察していると、土方は俺の腕の中で数度言葉に迷い。
「……な、ぁ……もう一回、してくれるか?」
「へ?」
 思わず間の抜けた返事をしてしまったが、それがキスのことだということは状況からすぐに理解できて。
 そして、それがわかればそのめったにない土方の甘えに、俺はつい頬を緩ませてしまう。
 いつも驚くほどあっさりと踵を返すこいつが、一体どういう風の吹き回しなのかと。
「……いーぜ」
 だが、少しだけ高揚する気持ちにかわりなく、俺はもう一度土方の身体を引き寄せその唇を塞いだ。
 身体を密着させれば、乾いた唇同士が一層触れ合う。
 その感触に、あぁ、やはりキスは嫌いではないかもしれないと思った。

 異変を感じたのは、その時だった。

 ぬるりと、唇が濡れた。
 それと同時に、何か異物が僅かに開いた唇から口内へと入り込む。
 生暖かい感触。
 今まで感じたことのないその感覚に、だが入り込んできたソレが土方の舌だということだけは本能的に理解できて。
 だが、理解した所で突然の行為を受け入れることなど出来ずに俺は身体を強張らせた。
 そして、入り込んだ舌が俺の舌に触れた、瞬間。
「やめろっ!」
 湧き上がった正体不明の感覚に背筋が粟立ち、俺は土方の肩を掴んでその身体を無理やり引き剥がした。
 不自然に、呼吸をせき止められた後のように息が上がっていて、俺は正気を取り戻せば慌てて土方の様子を伺った。
 きっと、あんな突き放し方をして酷く傷つけてしまっただろうと。
 だが引き離した土方の表情には焦りや失望や、その他の感情は何も浮かんでおらず。
 ただ、無表情のままで息を乱す銀時の顔をじっと見つめた土方は、ふ、と目を伏せた。
「……すまねぇ……、調子に乗った」
「い、いや……」
 不自然に高鳴る動悸の中、この場合、悪いのは一体どちらなのかと俺は自らに自問自答した。
 確かに、俺は契約成立当時、キスの折こいつに『舌は入れない』と宣言している。
 だが、この契約自体が酷く土方にとって先の見えない不安定なものだということも、わかっている。
 しかも、お試し期間が始まってもう三ヶ月。
 キスだって数えきれないほど交わしている。
 そろそろ先に進んでも、問題ないのではないかと、土方がそんなふうに思ったとしても、誰も責められはしない。
 それが当事者、つまり俺でもだ。
 いや、俺だからこそ、この生殺し状態の辛さはよくわかっている。
 わかっていて、敢えて無視をして。
 耳を塞いで目を閉じて、何も聞こえないようにしていた。
 むしろ、こんな幼稚な触れ合いでよく三ヶ月持ったものだと思う。
 確かに土方は俺に抱かれる立場でいたいと思っているといったが、だからといって何から何まで受身でいてくれるはずはない。
 そんな当たり前のことですら今の今まで見ないふりをしていた事実を、俺は唐突に土方本人から突き付けられた。
 答えを窮する俺の態度に、ふ、っと土方の顔に自重のような笑みが浮かぶ。
 そして。
「……悪ぃ、……契約、不履行だな」
「え……」
 一瞬、土方が何を言っているのか理解できなかった。
 契約不履行。
 要するに、土方は自分が契約違反を犯したのだと、そう言っている。
 それは言わずともがな、今土方が俺に仕掛けたキスのことを言っているのだろう、だが
「別に、俺は舌入れんなとは……言ってねぇだろ」
 拒否しておいて何をと自分でも思ったが、それでも言わずにはいれなかった。
 だって、今言わなければ、俺はきっと土方をこのまま失ってしまう。
 そんな、確信めいた予感がしたのだ。
 俺の言葉に土方の瞳が、はっきりと揺れるのが見て取れる。
 それは土方が叶うのならばまだこの関係を継続させたいと考えている証拠で、俺は一度深呼吸をして土方に手を伸ばした。
 僅かに震えるその体を強制的に腕の中へと引き寄せ、抱きしめる。
 怯えたように固まるその体の緊張を解すように、俺は背中を数度、手のひらで撫でるように叩いた。
「……き、……気持ちわりぃだろ……?」
 無理にこんなことをしてくれる必要ないと胸を押す土方の身体を、俺は離すまいと腕の力を更に強める。
「気持ち悪いんじゃねぇ。驚いただけだ」
 それは、本当のことだった。
 先ほど咄嗟に土方を突き放してしまった時の俺の心境は、わけがわからない事への恐怖が一番でかい。
 次が土方の行動がいきなりだったことへの不安と焦り、それに驚きが主で。
 思い返せばそこに生理的な気持ち悪さや嫌悪感は感じられなかった。
 だから行動の意味を何故と問われれば、本当に、ただ驚いただけなのだ。
 もし後述のような気持ち悪さがあれば、さすがに俺でももうこんな風に土方に触れようなんて思わない。
 文字通り、生理的に無理というやつだ。
「……だ、け……?」
 驚いただけだと、そういう俺に土方が震えの残る声で問いかける。
 俺は、その言葉にきっぱりと答えた。
「あぁ。だけだ」
 だから、契約不履行などではないから、大丈夫だと。
 幼子に言い聞かせるように土方の背中を撫でながら、大丈夫だからと繰り返した。
 我ながら、一体何をやってるのかと思う。
 それほどまでに土方を失いたくないのならば、もういっそディープキスでもセックスでもしてやればいいと。
 だが、わずかに残った日常への渇望が、その今以上に歪な関係への一歩にどうしても待ったをかけるのだ。
 今のまま、できるだけ長くいたい。
 それが土方に無理をしいていることを、知っていても。
「……いいのか、まだ……お前の恋人でいて……」
 か細い声に、腕の中の身体が小さく身じろぐ。
 土方の指先が頼りなく俺の服を掴んだことに、やっと正常な呼吸が帰ってきたような気がした。
「カッコ仮、な」
「……わかってる」
 俺の言い訳のような言葉に、土方は思わずと言った風に少しだけ肩を揺らし笑った。
 そして。
「それでも、……いいんだ」
 いっそう強く、俺の身体にまるで縋るように身を寄せる土方に、俺は例えようもない安堵と同時に、心臓を鋭利な刃物で切られるような痛みを覚えた。
 ごめん、と、声には出さずに心のなかで謝る。
 こんな、最低な男に捕まって、思いなんて告げたばっかりに捉えられて、身動きもできない不自由な腕の中に拘束されて。
 それでもいいなんて言うな。
 なんでそんなに欲がないんだ。
 一歩引いて落ち着いてみれば、こんな関係虚しすぎるってすぐに分かるだろ。
 喉元まで出かかったこいつを呪縛から解き放ってやるための悪態は、結局何一つ言葉にはならない。
 手放したくない。
 どうしても、俺は土方を手放したくない。
「好きなんだ、……万事屋……!」
 まるで血を吐くような声で訴える土方の声をそれ以上聞いていられずに。
 俺はきつく抱きしめた土方の後頭部を引き寄せ、その唇を噛み付くように塞いだ。




*     *     *




 暗がりの中で土方が落ち着くまでゆっくりとキスを交わし、落ち着いたその体を屯所に送り届けてから十日。
 あの出来事以来、初めて土方が万事屋を訪れる今日に、俺はなんだか妙な胸騒ぎを感じていた。
 帰りがけに起こったいつもと少しだけ違った出来事で俺達の仲は一瞬崩壊しかけたが、別れ際次の約束を問いかけた俺に土方ははっきりと『行く』と答えている。
 ならば今日もいつものように、仕事が終わればその足で、土方はこの万事屋を訪れるはずなのだが。
「………なんか、遅くねぇか……?」
 時刻は夜の九時を周り、土方の定時合わせて用意したツマミはすっかり干からびて冷え切ってしまっている。
 真選組に定時など、あってないようなものだと言ったのは土方だ。
 その証拠にこれまでも、仕事が原因の約束反故は決して珍しいことではない。
 だから、今日この時間になっても万事屋を訪れないことに、今更不信を感じる方がおかしいことなのだが。
 先週の土方の話では、今日アイツは内勤で書類を片付けるのが主な仕事だと言っていた。
 最近は寒さのせいか浪士たちも大人しいもので、何事もなければ十八時、遅くとも十九時には屯所を出られるだろうと。
 ひょっとしてと思いさっきテレビを付けてみたが、どこのチャンネルも夕方の情報番組で今日一日のニュースをのんびりと読み上げていて、攘夷浪士によるテロがあったという報道はどこにもなかった。
 だから俺は、当然アイツは定時に仕事を上がることができたんだと思い込んでいた。
 勿論、俺の全然知りえないような場所でテロの予告が起きていたとしても不思議はないし、むしろそう考えるのがこの状況だと妥当かもしれない。
 だが、どうしても納得ができない。
 これは、非現実的な話だが俺の中では結構な的中率を誇る虫の知らせという奴だ。
 しかも大抵の場合それは悪い方向の予感で。
 その悪い出来事を知らせてくれる有り難いのかよくわからない虫が、さっきから盛んに俺の中で鳴き声を発している。
 だが、どうか今回は外れて欲しいと嫌な胸騒ぎを必死で沈めようとした、その時。
 万事屋のインターフォンが、短く一度押された。
 部屋に響き渡るその音に、俺は思わず弾かれたように椅子から立ち上がり、玄関へと向かう。
 きっと土方だと、俺は急く気持ちを抑え廊下に出た。
 だがそこで、俺の足は一瞬だけその歩を止める。
 影が、違う。
 玄関照明に逆行で照らされ、引き戸にぼんやりと映るその影は洋装を着ていた。
 勿論、仕事帰りの土方が隊服のまま万事屋を訪れることは珍しいことではなかったが、それだけではなく。
 影は土方よりも背が小さく、しかも髪は項にそって少しだけ長めで。
 一瞬緩まった歩調をまた早めて玄関に向かい、玄関の戸を引き開けた俺は。
「……ジミー」
 脳内で思い描いていた土方ではない来客の想像が当たっていたことを思い知り。
 そして、その顔が僅かに青ざめていることに眉を寄せた。
「山崎です。すみません旦那、夜分遅く。その、副長、きてませんか?」
 その口から土方の呼称が出たことに、心臓が跳ね上がる。
 俺はその動機を抑えながら、努めて冷静に首を振った。
「え? いや、来てねぇけど」
「そうですか、そう、ですよね……」
 声には明らかな落胆が混じっていて。
「え、何。副長さんになんかあったの?」
 頼むから、大したことじゃないんですと笑ってくれと。
 そう願っても、そんなのは本当にただの願望で。
「行方不明なんです」
「………え?」
 あぁ、本当に。
「仕事の合間に少し出てくるといって部屋を出たっきりで、完全に消息不明なんですよ!」
 助けてください、旦那と。
 まるで己を最後の頼みの綱のように言う土方のお抱え監察の姿に。
 そうか、こいつは事情を全部知っているのかと俺は割れるような痛みを発する頭の片隅で、それを悟った。

 あぁ、本当に、なんでこんなことばかり。


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