紅い目をした兎




「こんばんわ」
 まるで邪気のない、歌うような声だった。
 時刻は、深夜一時。
 風呂上りの一杯にと冷蔵庫を開けた銀時は、そこにいちご牛乳のストックが切れていることに気付いた。
 どうせ後は寝るだけなのだからと気持ちを切り替えようとしたがやはりどうしてもあの甘さが忘れられず、銀時は着流しに着替え外に出た。
 さすがに洋装まで着こむのは面倒だという思いが先に立ち着流し一枚に木刀を携えるという軽装でコンビニに向かった銀時は、その帰り道こんな時間に外に出た己の判断を後悔した。
 まるで己の行く先を阻むかのように万事屋への帰り道の電柱へと寄りかかっていたのは、見知った顔。
 といっても、決して友好的な知り合いではない。
 その姿を垣間見るのは、いつでも物騒な戦場だ。
「……だれだっけ?」
 すっとぼけたような言葉は、半分が本当だ。
 生憎と一度や二度遭遇しただけの好意のない人間の名前を覚えていられるほど、銀時の脳みそは優秀にはできていない。
 だが、名前は解らずともさすがに顔には覚えがある。
 神楽と同じ髪色を持つ、胡散臭い笑みを携えた青年。
「やだなぁ、お兄さん。あれ? 俺名乗ったことなかったでしたっけ? 神威ですよ」
「悪いが初耳だ。そうかそうか、そんな名前だったんだ。まぁ、別に覚える気もねーからべつにいいけど」
 それじゃ、俺急ぐから、と銀時はいちご牛乳のはいったコンビニ袋を戯れに振りながらその前を通り過ぎようと歩を進めた。
 勿論、このまま素通りさせてくれるんじゃないかなどといったおめでたい頭はしていないが、自分からわざわざ厄介ごとに首を突っ込むこともないだろう。
 だが、以外にも目の前をそのまま通り過ぎらせてくれた青年に不信を感じた直後。
「酷いな。俺とお兄さんはナカマなのに」
 思いも寄らない言葉に銀時は思わず歩を止めた。
「はぁ? なにいってんですか。俺がいつお前らのナカマになったよ」
 俺ぁ春雨なんてどうでもいいよ、好きだけどねぇ春雨。つるつるしててうめーし。
 茶化してそう続ける銀時に、だが神威はあははと楽しそうに笑い、手をひらひらと振った。
「違う違う。そっちじゃなくて」
「は? そっちじゃないって」
「ナカマって、友達ってことじゃないよ。……同族、ってこと」
 相変わらず軽快な口調で告げる神威の言葉に、だが銀時はますます訳がわからないと眉を寄せた。
「同族だぁ? おいおい何勘違いしてんだ。てめーの同族は俺じゃなくて神楽だろ」
 同族も何も家族なのだから同じ種族なのは当たり前だけどなと続ける銀時に、だが神威の笑顔は霞まない。
 どころか、彼は楽しそうに笑いながら、なーんだ、とさもつまらなそうに言った。
「やっぱりお兄さん、自分のこと知らないんだ。お兄さんの中に、夜兎の血が流れてる、なんて」
「………は?」
 一瞬、神威が何を言っているのか理解できなかった。
 夜兎。
 宇宙最強と言われる、陽の光を嫌う戦闘部族。
 その夜兎族の血が、銀時にも流れていると言ったのだろうか。
 そんな馬鹿な。
 有り得ない話に、思わず喉の奥で笑った。
「信じられない? でもお兄さん、自分の出生とか覚えてないんでしょ?」
 動揺し二の句を告げない銀時に、神威は楽しげに言葉を紡ぐ。
 確かに、銀時の最初の記憶は死体だらけの戦場で目の前の亡骸から衣服や食料を漁っている場面だ。
 周りに両親らしき死体はなかったように思うし、ずっと、己の親は吉田松陽だと思い、生きてきた。
「……冗談キツイぜ。何を根拠に」
「何って。決まってるでしょ、DNA鑑定」
「……ッ!」
 余りに、現実的で真っ当な答えに不覚にも息を飲んだ。
 何から、なんて聞くまでもないだろう。
 銀時の血液がべっとり付着した剣は、今や春雨の幹部にまでのし上がった高杉の手の中だ。
 桂から流れてくるありがたくもない情報提供に寄れば、春雨の上層部に食い込んだ高杉は同じく春雨幹部の神威と手を組みなにやら仲良く何かを企んでいるらしい。
 情報共有があった所で、なんらおかしいことはないだろう。
 だが。
「あのさぁ、……その鑑定した奴、絶対ヤブだって。だって銀さん陽の光とか全然平気よ。直射日光浴びて平気で往来歩けるよ」
 夜兎族が日光が苦手であることは、神楽の件でよく理解している。
 もし本当に己が夜兎ならば、そもそも日傘なしで生活できている事自体がおかしいだろう。
 ないない、と首を振る銀時に、神威はそうだねぇ、と同意した。
「確かに、夜兎の特性は大分薄まってるみたいだね。まぁ、それは当然だよ。だってハーフだし」
「……ハーフ?」
「そう。人間と夜兎の、ハーフ。つまりニ種族の合いの子だよ。いーねぇ、それぞれの種族のイイトコどりじゃない」
 くすりと、笑う神威の目に一瞬よぎった剣呑な色に、思わず手が木刀へとかかった。
「……な、何ふざけたこと……」
「ふざけてないよ。……ねぇ、今ので薄々感づいたんじゃない?」
 図星を突かれ、木刀にかかった指の力が僅かに強まる。
 確かに、自分で鑑みても事実それは思い当たった。
「君の幼なじみの部下から聞いたよ。お兄さん、素手でヘリを落としたんだって? 夜兎に恥じない怪力だね」
「黙れ……」
「しかも、あの吉原で負った傷も、満身創痍で倒れた時も、わずか数週間で完治したんでしょ? すごいすごい」
「黙れよ……!」
「それに、その肌。人間の成人男性としては、随分白いね。……しかもその髪も。色素が薄い珍しい色合いだ。目なんて真っ赤で、むしろ俺達より兎さんみたいだよ」
「黙れって言ってんだ!」
 今が深夜であることも忘れ、思わず声を荒らげた。
 心臓が不自然に脈を刻み、夏でもないのに大量の汗が吹き出す。
 頭が痛い。気持ちが悪い。
 せりあがる吐き気に、思わず口元を抑えた。
 言われなくてもそんなものはすぐに思い当たった。
 己の怪力が人間離れしていることも、傷の治りが異常に早いことも、そのくせ陽の光の下を平気で歩き、食欲も人並みで済んでいることも。
 知っていて、だが気にしない振りをしていたのだ。
 ただほんの少し、人より恵まれているのだと。
「『鬼神・白夜叉』。うん、ぴったりじゃないかな。人間の中に混じってたら、人外に思われたってしょうがないよ」
 だって、そういう部族の血を引いているんだからね、と。
 にっこりとした笑顔でそう言った神威の言葉を最後まで聞く前に、銀時はその場から踵を返した。
 逃げるのかと、一瞬自分に自問したが、すぐに答えは出た。
 逃げたと取られてもいい。
 ただ一刻も早く、この場を去ってしまいたかった。
 けたたましい音を立てて階段を駆け上り、万事屋へと戻る。
 引き戸を強引に押し開け、音を沈める余裕すらなく部屋の中へと逃げこむ。
 乱暴にブーツを脱ぎ捨て部屋の中に入った途端、まるで倒れこむように足から力が抜けた。
 息が荒い。
 心臓が痛いほど高鳴り、あまりの目眩に視界が若干ぶれた。
「……銀ちゃん?」
「あ、……」
 見れば、眠い目をこすりながら神楽がこちらを見ている。
 先程の音で、起こしてしまったのだろうか。
 普段であれば五月蝿いと鉄拳が飛んでくるところだが、眠気眼の神楽からでも、今の銀時は尋常ではない様子に見えるのだろう。
 神楽は文句を言うでもなく、心配気に銀時の前に腰を落とした。
「どうしたの、銀ちゃん。幽霊にでも、あったアルか?」
「……いや」
 正直言えば、幽霊などより百倍性質が悪い。
 荒い息を何とか沈めようと数度深呼吸をして、改めて、心配げにこちらをみる神楽へと視線を移す。
 戦闘部族、夜兎。
 今目の前にいる神楽は生粋の夜兎であり、その存在は絶滅寸前とまで言われている。
 神楽のことは大切に思っているし、夜兎が嫌いなわけではない。
 だが、今の今まで己は己を人間と信じ、生きてきたのだ。
 その事実を突然覆されるような事を言われ、冷静でなど、いられるはずがない。
 そして、その事実を何を馬鹿なと笑い飛ばす理由も、己の中には見当たらない。
 むしろそうかと納得してしまう事柄のほうが多いくらいで。
「……銀ちゃん?」
 心配気な神楽の頭を、銀時はなんとか創り上げた不恰好な笑顔のまま、撫でた。
「……なんでもねぇよ。起こしてごめんなー神楽」
「銀ちゃん……」
 か細い神楽の声に、だが事情を説明することなどできず。
 銀時はその小さな頭を手のひらで撫でながら、大丈夫だからと、必死に笑顔を繕った。


end


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